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第二放送【雑談・コピペ】

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[154]spica1004 KY-42C
2026/01/25 07:28

【金剛山長安寺】

豊後高田市大字加礼川635
六郷満山中山本寺 本尊 千手観音像

養老二年仁聞菩薩の開基と伝えられています。

長安寺は豊後高田市の都甲谷の中央にある屋山の中腹にあります。四月には色々な種類のシャクナゲに魅了され多くの観光客で賑います。

安貞二年(一二二八)の六郷満山目録では、この長安寺を惣山と呼んでいます。「惣」とはすべてと云う言葉でここに衆議所(議会)が置かれたと考えられています。「惣山」の呼称はこの史料が唯一ですが、、すでに大治二年(一一三〇)に作られた屋山の太郎天像には胎内名に「屋山太郎惣大行事」と記され、天台僧とともに弥勒寺などの宇佐宮の僧侶も加わった六郷山を代表する立像であったようです。また、屋山出土の保延七年(一一四四)の銅板法華経と同じタイプのものが、英彦山・求菩提山にも埋められ、すべて宇佐宮の御馬所検校の紀重永の作と伝えられています。

▼太郎天像(不動明王の化身と云われています)かっては奥ノ院の六所権現社に祀られていました。

▼求菩提(くぼて)山の資料館にある銅板法華経のレプリカです。 長安寺には二十三枚の銅板経が保存されています。銅板経は「雨乞い」にも使用され加礼川上流の轟の淵に沈めたそうです。轟淵は並石ダムの底に沈んでしまいましたが、古くは底無しの淵といわれ、龍が住みついており、高田の権現の鼻の海に通じていると信じられていました。

▼石段を上がると左奥に六所権現社が見えてきます。拝殿の改装の寄付をした方々の名前を書いた板には身濯神社と書かれており、身濯神社とも呼ばれていたようです。

亀山天皇の文永元年(一二六四)ころ九州各地の牛に奇病が発生し多くの牛が死亡する出来事があり、この年牛の奇病修伏の祈祷を命じられ、六郷満山の衆徒先達八百三十人を屋山の長安寺に集めて大祈祷を修した記録もあります。

資料参考:「くにさきの世界」豊後高田市史特論編


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