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教えて達人 - ネットde事例検討

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2023/07/05 09:48
【SLIPERより】
ギフテッドとは、平均より著しく高い知的能力を指す用語1)です。学校では、2007年が特別支援教育元年と言われ、特別支援教育が制度的に位置付けられました。発達障害に対する理解が進んできていると言えますが、しかし、知的に高い子どもたちについては、「好きなことしかやらない子」「わがまま」と捉えらやすく、学校生活に対する困難さが正しく理解されていない現状があると思います。
文部科学省も「我が国においては、これまでもスポーツや文化などの分野で学校外において特異な才能を伸長するシステムが作られてきています。一方で、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する教育に関し、学校において特異な才能をどのように定義し、見いだし、その能力を伸長していくのかという議論はこれまで十分に行われていない状況にあります。」2)と書かれており、未だ支援が行き届いていない状況と文部科学省も認知していると考えられます。
 このようにギフテッドの子どもには、支援が確立されていないと言った状況の中で、養護教諭がどのように関われば良いのかと言うのは、難しいことだと思います。このタイプの生徒であれば、好きなことをしていれば手がかからないので、保健室に居てもらうことは難しいことではないかもしれません。「保健室に居させてあげてください」担任からそう頼まれて保健室登校が始まったのかもしれません。ただ、相談者さんは、「この生徒にとってこの対応を続けて良いのか」と疑問に思い、生徒により良い支援をしたいと考えている姿勢が素晴らしいと思います。
 まずは、支援会議を提案しましょう。ギフテッドとして捉えるところから始まると思います。この生徒への支援目標、計画を立て、チームで支援して行くことが大切です。その中で、保健室で過ごすことが、具体的支援の内容になるのであれば、支援者として協力して行きましょう。

1)https://ja.wikipedia.org/wiki/ギフテッド 
2)特定分野に得意な才能のある児童生徒に対する指導(文部科学省HP) https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/senseiouen/mext_01512.html

50歳代/静岡/養護教諭
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2023/07/05 09:44
私はまだこのような生徒さんに出会ったことはないので、想像でしか言えませんが、私なら、親御さんのお話を聞いて、支えるという役目ならできそうかな?と思いました。他の子と違う特徴があるお子さんを持つ親は、たとえ優れた点であったとしてもしんどい思いをするのが日本という国だと思います。本人がなんとか社会との接点を持ち続けられるような保健室支援と共に、保護者の方がこの先もこの生徒さんを育てていけるように支えることができたらいいと思いました。
30歳代/栃木/養護教諭
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2023/07/05 05:46
米国では全生徒の6%(クラスに1〜2人)がギフテッドと言われており、早く(1970年代)からギフテッド・プログラムに参加しています。現に、こちら(米国)で暮らしている私の友人家族の多くは、ホームスクールをしながら特別プログラムを受けさせるとか、教育レベルの高い地域や学区に引っ越して、飛び級や高レベルのクラスで勉強しています。国民性自体が「自己責任」ですから、自然にそうなるでしょう。
さて、現在の日本では「ギフテッド」の医学的な診断基準はなく、正式な定義もないようです。よって、NO.1の投稿のように学校側では「そのまま」、保健室へもそのうち来なくなるのだと思われます。それは当然でしょうね。ギフテッドの人は、先天的に顕著に高い能力を持っている反面、「人とかかわることが好きでない、自分勝手、、」など、精神面や社会面に難しさを抱える場合なども少なくないようです。

よって、養護教諭としての対応ですが、保健室では応急対応(心身とも)、また保護者や担任との連携や、養護教諭として得た情報の提供くらいでしょうか。

もし、私がいわゆる「ギフテッド」と言われる子供を持った親なら、人が何といおうと、社会がどうであろうと、わが子の優れた能力を生かすための努力をおしまない。それが自分の生きる道と思い頑張ります。だたし、自己責任、周囲に頼らないことを自覚してですね。
60歳代以上/海外/元養護教諭
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2023/06/13 20:05
教科書を1回読めばわかってしまうような生徒もいますし、何十回読んでもわからない生徒もいますよね。何十回読んでもできない生徒については、特別支援学級を勧めるなど、何らかの働きかけを学校側も考えることが多いと思います。できるタイプの生徒で、全般的にできれば、優秀な生徒となるわけですが、突出してできる生徒については、よりできるようにということを考えることは少ないと思います。飼い殺しという言い方は不適切かもしれませんが、「そのまま」ということが実際には多いように思います。
今は、保健室で過ごしている生徒も、そのうち来なくなるのではないでしょうか。本人の人への興味関心を広げる必要があると思うので、学校にくることは、数学を勉強しにくるのではなく、家ではできない、人と接する機会と考え、本人の特性を伸ばすために、学校全体でチームで支援することが望ましいと思います。

50歳代/静岡/養護教諭
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