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だが、この越後の獅子と甲州の龍は、中央の舞台を外に、十年も対峙してゐる。川中島合戦は、戦史を飾る激戦ではあつたが、政治的には、何ほどの意義もなかつた。後年秀吉が、「ハカの行かぬ戦争をしたものだ」と評した所以である。 甲越の決戦を観望して、「傍毒龍有り、其※を待つ」の感があつた北條氏康は、元亀二年に歿し、こゝに均衡勢力の一端は破れた。翌三年十月、武田信玄は大挙して上洛を志し遠江に侵入し、徳川家康を脅かしたが、翌天正元年四月、疾を得て「明日旗を瀬多に立てよ」のうは言も悲しく陣歿した。 入洛競争のテープを切つたのは信長だつたが、甲斐の龍、信玄の鋭鋒を邀へては、あまり勝味のない桶狭間を、も一度繰り返さねばならない破目になつてゐた信長は救はれたわけだ。
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