分からぬは夏の日和と人心
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392こんにちは Chrome
2023/06/13 12:16
こんにちは
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391Ryou Firefox
2014/06/23 21:36
「平素同情などという優越的態度を校長からして持っているから、そんな不心得な生徒も出るのだ」と、厳しくその「同情」の不心得を攻撃せられて、ついにその「同情」の語を取り消して、謝罪したというのであります。しかしこれはとんだ履き違いで、同情は必ずしも優越観念を伴う訳のものではありません。恐れ多いことではありますが、私どもは歴史を読んで、隠岐に遷され給うた後醍醐天皇にも同情し奉る。しかあるべからざるものが、世間の不条理なる差別待遇から、言うに忍びざるほどの不幸なる境遇に苦しんでいるのをみて、これに同情するになんの遠慮がいりましょう。世人はすべからくよく部落の実際を知って、その気の毒なる境遇に満腔の同情心を起し、彼らをしてここに至らしめたことについて、深く反省するところがなければならぬのであります。
 真の融和は真の美わしい同情心から出立せねばなりません。頑強なる世間の差別待遇が、国家的に、社会的に、将来いかに重大なる結果を生ずべきかを憂慮して、高等政策的の意味からその解放をはかることはもとより必要で、はなはだ尊敬すべきことであるには相違ありませんが、しかも真の融和は、どうしても人道上の反省から起るところの真の同情心に基づかねばなりません。そしてその真の同情は、「よく知る」ということから導かれるのであります。私は私の永い間の体験から、あえてこれを断言して疑わないのであります。

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390Ryou Firefox
2014/06/23 21:36
 ここに至って私は、いささか脱線の嫌いはありますが、特に「同情」ということについて、一言しておきたい。
 右にもすでに述べました通り、多年同情の押売りに飽きた人々の中には、時に「同情」という語について、はなはだしい反感を有するものがないではありません。水平社の先輩達も「同情的差別撤廃を排す」と叫んだことがありました。これはもちろん優越的観念から、憫むべき部落民を救ってやるとの態度に対する反抗ではありますが、それを履き違えた末流の人達のうちには、「同情」という語を非常に嫌がるものも実際少くありませんでした。かつてある小学校で例の失言問題が起り、例によって多人数殺到して校長の不取締りを糾弾しました時に、「自分は平素君達の境遇に深く同情して」といったがために、その校長ははなはだしく責めつけられたという笑い話があります。

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389Ryou Firefox
2014/06/23 21:36
 しかしながら、私の行動を変な目をもってみたものは、必ずしも世間の無理解者のみではありませんでした。いわゆる部落の人々からも、何か為にするのではないかと疑われたことも度々あります。また一方からは部落民のヒイキをしすぎると言われたのと正反対に、いわゆる部落の側の人からは、「喜田は御用学者だ、その筋の回し者だ」などと呼ばれたこともありまして、なるほど世人が疑い深いと批評するのも、まんざら無理のないことだと、感ぜざるをえない場合もないではありませんでした。しかしさらにひるがえってよくこれを考えますと、多年いわゆる同情の押売者や、パンのための改善家に馬鹿にされた人々にとっては、一応そう疑ってみるのもまんざら無理ならぬことであるばかりでなく、平素世間から侮られ、除け者にせられ、罵られるに慣れた人々としては、自然部落外の者の行いについて、神経過敏になるのもやむをえないことなのであります。したがって、よくこれを諒解してくれさえすれば、いわゆる部落の人々はいずれも善人です、親切な人々です、人懐っこい人々です。少くとも私の交際した限りの人々に、そう親しみにくいというほどの者のあることを知らないのであります。世人が往々彼らを見て、疑い深いの、親しみにくいのというのは、畢竟するに、いわゆる「喰わず嫌い」で、「よく知らない」からのことであったのです。されば、もし真によく部落を知ったならば、何人といえども「ああ気の毒なことだ」、「相すまぬことであった」と、同情と反省との念が必ず起るに相違ないのであります。

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388Ryou Firefox
2014/06/23 21:35
「君もよい加減に部落問題を論ずることをやめてはどうだ。他からよけいな誤解を受けるばかりでなく、君はよい気になって喋舌っていても、ついどんな不用意から、あの恐ろしい糾弾の槍玉にあげられるかもしれないぞ」と。ある人はまたこんなことを言いました。「お前はあまり部落民のヒイキをしすぎる。そんなことをするから彼らがつけ上がって、水平運動のようなものも起るのだ。」と。この「雑誌を売ろうとして」との批評をした人々は、自分の卑しい根性から、他人の真意を忖るもので、もとより論ずるにも足らぬことであり、また「喜田が部落民のヒイキをしすぎる」ということの如きも、確かに観察を誤まったもので、悪くいえばいわゆる部落民をいつまでも愚にしておいて、その地位に満足せしめようと言うのでありまして、今さら問題とすべきではありませんが、「喜田が部落出であろう」とか、「よけいなことはよしたがよかろう」とかいうに至っては、もっとも適切に、世人のいかにこの問題に対して冷淡であるかを語っているものとして、心淋しく、また腹立たしく思わざるをえなかったのであります。実際世人の多くは、直接自分の頭の上に降りかかる火の粉でなければ、なにも他から手を出す必要がないと思っているのです。そしてよけいなことには触らないのが安全だと打算しているのです。そんな有り様で、どうして解放ができましょう。融和の実が挙げられましょう。私はまずもって特にこれらの人々に向かって、部落をよく知ってもらいたいのであります。

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387Ryou Firefox
2014/06/23 21:35
 しかるに初め私のこの動機がまだよく世間に諒解せられない頃には、しばしば世人から変な目をもってみられたものでした。ある人はいいました。「喜田は自分の雑誌を売ろうとして、あんなことをやっているのであろう。」と。これはたしかに融和改善を事業とする某氏の口からも出たと聞きました。さらにある人はいいました。「喜田はおそらく部落出身者であろう、そうでなければ喜田の細君が部落出の女であろう、そんなことででもなければ、あんなよけいなことに熱心になるはずはない。」と。これはしばしば懇意な人々から内報を受けたことです。そしてその内報者の中には、さらに親切にもこんな忠告を与えてくれた人もあります。

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386Ryou Firefox
2014/06/23 21:35
 私の部落の歴史に関する研究は、もともと単に私の学問的欲求のためで、そのほかにはなにものをも有しないのでありました。しかしながら私はこの研究のために、いわゆる「部落をよく知った」結果として、私個人としては同情の念に、また一般世間の一人としては反省の念に、自然はなはだしく動かされたのであります。したがって私はこれを単なる学問的研究のみに止どめずして、さらにこれを広く世間に宣伝して、幾分でもその解放上に貢献したいものだと希望するに至ったのであります。もちろんそれは何人から頼まれたのでもなければ、また職務上からやっていたのでもなく、もちろんこれによってなんら自身の利益を求めようとしたのでもありません。ただ私は、単に私の心の命ずるままに行動したのにすぎないのであります。

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385Ryou Firefox
2014/06/23 21:34
折も折とて、たまたまその月の十七日に、内務省で細民部落改善協議会が開かれますし、二月の二十三日には、築地本願寺において、帝国公道会主催の同情融和会が開かれました。機会を得たりと私は自ら進んで、その双方の会に出席しまして、私の歴史的研究の結果を述べて、単なる部落改善は解放に向かっての唯一の道ではなく、一般世人はさらによく反省するところがあって、故意の、もしくは無意識の圧迫を、解かねばならぬことを力説したのでありました。かくてその内務省における講演筆記を印刷して、同省を経て各府県に頒布してもらい、その後さらにそれをもととして、別にいくつかの歴史的研究を加えまして、「特殊部落研究号」と題する『民族と歴史』特別号を発行しました。ここに始めて、幾分か世間の反響を聞くことができたのであります。

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384Ryou Firefox
2014/06/23 21:34
たしか明治四十一年の春であったと記憶しますが、私が始めて京都大学の講師として赴任した年のこと、同地の天部の篤志家故竹中庄右衛門翁の家庭を訪うて、その所蔵の古文書を見せてもらい、そのついでに翁の依頼に応じて、同町内の夜学校舎で、町内の有志のために、一場の講話を試みたことがありました。これが私のこの問題について、意見を発表した最初のものです。その後機会のある毎に、しばしばその差別すべからざる所以を宣伝したことではありますが、何分微力のもので、もとより世間の注意を引くほどのこともできませんでした。しかるに大正八年一月に至り、私は主として部落の歴史を研究し、かつそれを宣伝したいという目的を含めて、『民族と歴史』という個人雑誌を発行することになりました。

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383Ryou Firefox
2014/06/23 21:33
 私がいわゆる部落の人々に近づき始めたのは、すでに二十余年の昔となりました。それまでは私も、あえてこの問題について研究したことはなく、もちろん部落の人々が、どんな境遇に苦しんでいるかをも深く考えてみたこともなかったのであります。しかるに私は、歴史家としての私の社会史研究上の必要から、いわゆるエタ非人に関する材料を求めようとし、しばしばこの方面の人々に近づく機会ができました。そしてその生活状態を観察し、不平不満の語を聞きますと、これはいかにも気の毒なものだと、同情の念が自然と起らざるをえなくなったのであります。のみならず、さらに進んでその部落の起原沿革を研究しまして、歴史上少しも差別すべきはずのものでなく、ただ世人の無智がこの人々をはなはだしく苦しめているのだとのことを確信するようになりましては、これは到底自然のなりゆきにのみまかして、打ちやっておくべきものでないと考えました。

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