コピー
氏康逝き、信玄歿し、関東は謙信の独舞台となつたが、彼も亦、天正六年三月西上の軍を発するに先だち、俄に卒去した。信長に取つては重ね/″\の天幸と云はねばならない。 豊穣な濃尾の地利に培はれ、人文に育まれた英雄児信長は、遮るものあらば性来の勇猛心で撃砕した。しかも、彼を脅かす東国の諸豪相次いで世を去つたので、彼の天下一統は必ず近きにあり、と自他共に信じてゐたが、測らずも、十七年間重用し来つた家臣光秀のために、京都本能寺に於て、弑せられた。「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如く也」、彼の平素愛誦の謡のごとく、五十に満たぬ四十九歳で、いかにも乱世の英雄らしい最後を遂げたのである。
TOPに戻る
-
iboard BASIC
-