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* 信長も秀吉も、今日で云へば、成金的成功者であつたから、その時代の文化も、亦、絢爛豪奢を極めたものだつた。いはゆる、安土・桃山時代の文化である。 信長の安土の城は、天正四年から七年まで、巨万の財を費して作り上げたもので、戦争の為めの城と云ふより、寧ろ、華麗な邸宅だつた。三つの丘の真中の七重の天守閣の頂には、金の鯱鉾が朝日夕日に輝いてゐた。屋根瓦には、漆を塗り、金粉をまき散らした。襖はいづれも、金地で、狩野永徳らが牡丹に唐獅子といつた風な、思ひ切つて華美な絵を描いた。 秀吉が、諸大名に命じて築かせた大坂城は、周囲三里に余る大城郭で、八層の天守閣を中心に、華美を極めた建物が立並んだ。聚楽第も、絢爛眼を奪ふものだつた。 従つて、彫刻も独立した美しさを持つたものよりも、豪壮な邸宅寺院などの建築美にそへる装飾彫刻が盛んになり、左甚五郎などゝ云ふ名手が出た。 絵画も、狩野永徳・山楽、土佐光吉・光則・光起など彩色目もまばゆい程の華麗なものを描いたし、墨絵も、大幅で、華やかなものがもてはやされた。
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