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「あなたは、失礼だが、どなたでしたつけ?」 と、田沢元代議士は、心細い挨拶である。 「幾島です。昨日粕谷さんに紹介していただいたばかりですが、まあ、それやいゝです。植物の方をやつてる関係で、今年の夏、大沼博士のお伴をしてこちらの別荘でご厄介になりました。泰平郷の建設にはいろんな意味で非常な興味をもつてゐます」 「いやあ、それやどうも……。まあ、そこへお掛けなさい。ふむ、さうですか……。立花伯といふ相棒をなくして、わしもがつかりしてゐます。なにしろ、かういふ事業は算盤を弾くだけぢや、まるで意味をなさんですからなあ」 「大へんいゝことを伺ひました。田沢さん、泰平郷の画期的な事業の性質についてですけれども、ひとつ是非、これは地元農村の将来といふことと関連して考へていただきたいのです。僕からなぜかういふことをあなたに申上げるかといふと、地元の青年たちの正当な要求が、あなたの配下の事務員の手心で、甚だ軽々しく扱はれてゐる事実を、僕は知つてゐるからです。例へば、この夏から問題になつてゐる水源地の権利のことでも……」 幾島は場所柄を忘れて、熱心に説きはじめた。 「ちよつと……」 と、田沢は片手で彼の言葉を抑へ、 「なるほどさういふ事実もあるでせう。わしもつい暇がなくて、その、自分で現場を見てをらんもんだから……。今日はまあしかし、その話はいゝでせう、かういふ際ですから……。あ、自動車が来たやうだな」
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