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「いゝなあ。そいつは……」 と、幾島は彼女の気持を引立てるやうに云つた。 門のところまで来ると、誰かが急いで彼の手からトランクを奪ひ、それを自動車に積み込んだ。 「こつち、斎木さん……荷物はそれだけですか?」 田沢がそこで指図をしてゐた。 みんなの座席がきまると、田沢が出発の命令を下した。 黒岩万五が、手をあげて、先頭の霊柩車に合図をした。 霊柩車は重くゆれながら動きだした。 黒岩万五はそれを一瞬、不動の姿勢で見送つて、すぐに、その次ぎの車の踏台へ飛び乗つた。 「汽車には間に合ふだらうな」 田沢が車の中から訊ねた。 「右へ大きく廻つて、大きく……」 黒岩万五は、それには答へず、先頭の運転手に向つて呶鳴つた。 「万さん、汽車には間に合つて?」 素子が、また、同じ車の中から声をかけた。 すると、黒岩万五は、はじめて気がついたやうに、腰をかゞめて車の中をのぞき込み、いかにも彼女にだけ返事をするといふ調子で、 「さあ、その方は、わし一人ぢや受け合ひかねるね。なにしろ、やつと車を谷へ墜さずに来ただから」 幾島暁太郎は、ふとその会話を耳にはさんだ。そして、なんとなく、この二人の間に自然な感情のつながりがあるやうに思へた。その自然な感情のつながりといふのは、例へば、体裁も遠慮もいらぬ間柄で、特に相手の気持を呑み込んだ話のしかたをするやうな場合に、それがはつきり表面にあらはれるものだと彼は信じてゐる。 彼は、雪の山道を征服しつゝ、素子の讃嘆と感謝を浴びようとする黒岩万五に、少年のやうな嫉妬を感じるのであつた。
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