コピー
かういふところが「劇作」のなんとなく小憎らしいところで、私などもつい遠慮がちになり、グループとして昂揚する精神のなかに自他ともに引入れられる若々しさがもうちつとあつてもいゝのではないかと、老婆心ながら、気を揉んでゐた次第である。 今日では、「劇作」の諸君の一人一人を私も個人的に識るやうになり、それぞれの作家としての業蹟に敬意を表してゐるが、当節、戯曲家は戯曲だけ書いてゐればいゝといふやうな時代かどうかを、更めて、諸君とも話してみたいと思つてゐる。 少くとも、こゝに第百号を迎へた雑誌「劇作」の今後の躍進は、単なる新作の「活字による発表」を超えて、劇文学一般を通じての生活への寄与といふことにあるのではないかと思ふ。われわれの明日の生活は、政治の変貌と密接に結びつくのみならず、芸術文化の部門に於ける由々しい動揺をも覚悟しなければならないのである。 「劇作」はその本来の指導性をこゝに発揮すべき時機である。即ち、諸君は既に「武器」を持つてゐるのだといふことを忘れないで欲しい。
TOPに戻る
-
iboard BASIC
-