コピー
以上のとほり、昭和の初め頃までに戯曲家として初登場をした人々のうち、今日、専ら劇作をもつて世に立つと称し得るもののないことは、なんといつても淋しいことである。(戯曲家でも一方にちやんとした詩や小説が書け、或は詩人や小説家で立派な戯曲も書くといふことがどんなに望ましいことであるか、それは言ふまでもないことである。) ところが、すべての条件がそんなに変つてもゐないのに、昭和七、八年頃から、劇文学の新しい芽が徐々に根を張つたやうな形になつて来た。言ひかへれば、劇作のみに専心して他を顧みない少数ではあるが有能な若い人達が現はれ、現在なほ、それらの人々は、執拗に戯曲を書きつゞけて倦む気色が見えぬのである。劇作は彼等にとつては、もはや、試みでも気紛れでもない。況んや、生活の手段の如きではさらさらない。たゞたゞ一途に、劇文学の道に精進するが如く私には感じられて、強く心をうたれるものがある。
TOPに戻る
-
iboard BASIC
-