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これは、老婆心でなくつてなんであらう。但し、この老婆心は、一面、この種の作品を、「気ざさ」から救ふことにもなるのであるが、川口君に、断じてその心配は無用である。 私が特に、阪中、川口両君の名前を挙げたのは、必ずしも二人を比較する意味はないのだが、今将に興らんとしつつある新劇時代が何等かの意味で、前時代よりの飛躍を目指してゐるとすれば、それは最も戯曲らしい戯曲を提げて現れた川口君と、従来の抒情風な作品から、漸次、生活的内容を整へて、遂に、「馬」三幕の如きファンテジイに富む社会喜劇にまで到達した、阪中君の劇作家的成長とを結び合はせて、必ず、戯曲と舞台との提携へ進むものと断言し得るのである。そして、そこからこそ、「われわれの芝居」が生るべきであると信じてゐる。(一九三二・四)
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