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藤本が、あたりを憚るやうに、保枝に言ひました。そして、眼で、そばに突つ立つてゐる笹山千鶴子に、あつちへ行つてゐるやうに相図をしました。 「さつき訪ねて来た女のひとつて、だれ?」 と、保枝は、自分だけがそれを知るものならと思ひながら、息をひそめました。 「……だれでもない……グラン・タムール……」 たゞ、それだけです。 それから一時間後に、大庭常子は、解しがたい謎をのこして眠るやうに呼吸を引きとりました。 …… …… …… …… 大庭常子の変死は、楽壇はもとより、世間の好奇心をそゝりました。金谷秀太と軽井沢の青年秋葉精の来訪は確実となりましたが、それ以上、なんら嫌疑を受けるべき証拠がないといふことになりました。もう一人の婦人の訪問者については、まつたく雲をつかむやうな話で、その婦人を見たといふたつた一人の人物、事務所の受附けの少女は、たゞ、洋服の、背の高い、三十ぐらゐの婦人といふだけで、人相や、声などについて細かいことをたづねると、それは、ひとりでに大庭常子そつくりの女性になるといふ、厄介な証人でした。
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