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その意味で、「畸形」そのものはむしろ悲劇であるが、「畸形」の表情が時とすると喜劇味を帯びるのである。私のこれからの叙述に若しも滑稽をあばくやうな気味あひがあるとしたら、それは自画像を描く画家の筆は却つて容赦なきものだといふことである。更にもう一つあらかじめ注意したいことは、限られた個人またはある少数の者がさうである場合、それはなほ例外的存在と云へるやうなことでも、程度を越えた多数乃至全部がさうである場合は、もはや社会そのものとしては「病的」乃至「畸形的」と断ぜざるを得ない、といふやうな事実があることである。例へば普通は「可笑しい」とは云へないやうな場合に、談話中にやにや笑ふ人間があるとする。その原因はともかく、さういふ人間がごく稀にゐたところで、そのこと自身「畸形的」とまでは考へられまいが、若しそれが一社会、一民族のほゞ共通の傾向とみられる場合、そこには著しく不気味な印象を生じる。かゝる傾向はこれを「畸形的」と名づけなければならなくなるのである。(米国前国務長官ハルの回想録中にみられる日本外交官の表情の印象にその特徴的な傾向が指示されてゐる)
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