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道徳はもちろん強調しなければなるまい。しかし、道徳的行為、道徳的言辞、道徳的相貌といふやうなものは、じつさい、真の「道徳」とはあまり関係のないものだと私は思ふ。それにも拘らず、「道徳」の強調がおほむね、道徳的行為、道徳的言辞、道徳的相貌の強調に終始してゐるために、国民は、遂に「道徳」を甘くみるに至つた。仮面の如くこれを懐ろにするものは別として、自ら時として道徳家をもつて任ずることがそれほど「をかしい」ことでないと信ずる向きを生じたのである。市井の俗人が道徳の看板を掲げて得々とし、これをもつて他を圧することはしばしば易々たることであり、あはよくば、これによつて利を占めようとさへ目論むのである。そして、それらは、不思議にも偽善者の後ろめたさを内心感じてゐないやうである。それはその筈である。「道徳」とは人間精神の内奥に生きるものでなくして、外形の装ひにひとしいものだと心得てゐるからである。
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