コピー
待合室のストーブのまわりは、折り重なるように群集がひしめき合つていた。 こゝでは、船の欠航がどういう原因なのかを人々は論じ合つている。濃霧のためだと言うものもあり、暴風の警戒が出たからだと主張するものもあつた。しかし、一人の厳めしい洋服姿の男が、薄笑いの中で言葉を濁しながら、近頃、機雷がおびたゞしく流れてくるからだと、断言したので、一同は、是も非もなく口をつぐんだ。 井出康子は、待合室の一ぐうにやつと腰をおろす場所をみつけ、リュックと手提げカバンを下において、くた/\になつたからだを休めることにした。 「トムちやん、おなかすかない? すいたら、お握りあげるわ」 握り飯を竹の皮の包みから一つ、つまみあげようとすると、いきなり、にゆつと黒ずんだ大きな手が左右から出た。思わず顔をあげると、浮浪者のような男が一人と、そのそばに、中年の身なりはさほどひどくもない女とが、それ/″\片手をつき出しているのだとわかつた。二人とも口はきかない。差しだした手がすべてを語つているのである。隣りにいた若い女が、康子のひじをつゝいて、小声で教えた―― 「だめですよ、こゝでそんなもの出しちや……」 彼女はしかし、知らん顔はできなかつた。残り少い握り飯を一つずつ、その差しだされた手にのせた。
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