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公衆道徳の訓練をしなければならぬといふものがある。いや、それよりも前に、個人道徳の確立が急務であるといふ説もでる。 私はそのいづれにも半分づゝ賛成であるが、その目的を達するためには、これまで行はれてゐたやうな方法では百年河清をまつに等しいといふことを断言する。 例へば、闇取引の話がはじまる。憤慨して聞いてゐたものが、相手の事もなげな話しぶりにだんだん釣り込まれ、遂に人ごとのやうな興味に心を躍らせ、相手自身の半ば露悪的な告白に何時の間にか耳を傾けながら、遂にそんなものかと諦めてしまふのである。この現象には、たしかに、空おそろしい半面もひそんではゐるが、また同時に、腹の立たないやうな洒脱なところもあるのであつて、事の軽重がかくも不均衡に取扱はれてゐる状態を私はこゝで特に注意したいのである。人間の良心が、正しく素直に発露するためには、それがどこかでぶつかる手応へといふものがなければならぬ。正義派といふものゝ現実的なをかしみは、正義を標榜する身振りの常識に反する形式にあるのである。
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