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欧化主義に対する批判は既に終つてゐる。風俗の国際化といふ問題について考へてみても、私は、その意義と限界とを、国粋主義の立場からでなく、自然の理法として早く闡明してほしいのである。たゞ単に方向が与へられさへすればよい。 服装における和洋折衷は、もはや退化の一路を辿りつゝあるやうに思へる。和服に靴を穿くものはとつくになくなつた。帽子もやがてかぶらなくなるだらう。 日本人のお辞儀も、今や千差万別である。素気ないのになると、たゞ頤を突きだすだけといふのがある。膝をちよつと折つてみせるやり方も簡略至極である。「やあ」と云つて近づいて来るから、お辞儀をするのかと思つて待つてゐると、遂にそのまゝといふのがある。長くして掻きあげてゐる髪が前へ落ちて来ないやうに、斜に首を曲げるのがある。片足を後ろへ蹴あげるやうにするのがゐる。千差万別一向に差支へないが、共通の心理は、お辞儀は文字どほり形式だと思つてゐることである。もつともこれはみんな若い男の場合であるが、女のひとはそれほどでもない。その代り、何を喋るのにも、相手がそれをどう思ふかといふことばかり気にしてゐる。それは言葉の云ひ廻しにも、顔や手の表情にも絶えず示されてゐる。 私はかういふ婦人と対ひ合ふ毎に、西洋のある種の女のつゝましい雄弁を思ひ出す。そして、それは、女性自身の心掛けよりも、男性の取扱ひがこの嗜みを作りだすのだといふ風にも考へてみた。風俗の国際化がこのへんから機微な点に触れて行く。
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