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世界各国の言葉で綴られた作品を、いつたい誰が読み、誰が審査するか? 英、独、仏、露、支の五ヶ国語に限るといふ方法も考へられる。それらを一旦日本語に翻訳して審査員が採点することになるのであらうが、どうせ厳密な比較評価はできるはずがない。そこで、まづ大体の標準によつて、半分はお祭気分で一等、二等を決めることになるだらう。応募者もそのつもりでなければ、どうせ応募はしないだらう。専門家がむきになつて騒ぐやうな問題ではない。文学アマチユアの道楽仕事に過ぎず、雑誌などで「何々の歌」を募るのと同断の催しであるから、審査員の顔ぶれさへ堂々としてゐれば、国内的には相当の「観もの」になるだらう。こゝでちよつと心配なのは、外国人の応募者が一人でもあるかどうかといふことである。 どう考へても、かういふ国際的な催し、殊にオリンピツクのやうな西欧の伝統的な「お祭り」を日本人が主催するといふのは、どうもぴつたりしないところがあり、つまり国民の気風に適しないものゝやうである。スポーツそのものが、変に深刻で、血眼で、勝つても負けてもすぐに涙なんか流すのだから、折角のお祭り気分を台なしにしてしまふ。かういふ習慣を一掃しない限り、文学オリンピツクなどやつても面白くないにきまつてゐる。
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