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ここに至って私は、いささか脱線の嫌いはありますが、特に「同情」ということについて、一言しておきたい。 右にもすでに述べました通り、多年同情の押売りに飽きた人々の中には、時に「同情」という語について、はなはだしい反感を有するものがないではありません。水平社の先輩達も「同情的差別撤廃を排す」と叫んだことがありました。これはもちろん優越的観念から、憫むべき部落民を救ってやるとの態度に対する反抗ではありますが、それを履き違えた末流の人達のうちには、「同情」という語を非常に嫌がるものも実際少くありませんでした。かつてある小学校で例の失言問題が起り、例によって多人数殺到して校長の不取締りを糾弾しました時に、「自分は平素君達の境遇に深く同情して」といったがために、その校長ははなはだしく責めつけられたという笑い話があります。
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