分からぬは夏の日和と人心
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2013/12/13 13:55
喜右衛門は、信長と戦端を開く時には、浅井家長久の為めに極力反対したが、いざ戦うとなると、壮烈無比な死に方をしている。浅井家第一の忠臣と云ってもいいだろう。
浅井方の大将安養寺三郎左衛門は、織田と浅井家の同盟を斡旋した男だ。長政を落さんとして奮戦中馬を鉄砲で射られて落馬したので、遂に擒りにせられて信長の前に引き据えられた。信長は安養寺には好意を持っていたとみえ「安養寺久しく」と云った。安養寺、言葉なく、「日頃のお馴染に疾く疾く首をはねられ候え」と云ったが、「汝は仔細ある者なれば先ず若者共のとりたる首を見せよ」と云った。つまり、名前の分らない首の鑑定人にされたわけだ。小姓織田於直の持ち来れる首、安養寺見て「これは私の弟甚八郎と申すものに候」と云った。また、小姓織田於菊の持ち来れる首「これは私の弟彦六と申すものにて候」と申す。信長、「さてさて不憫の次第なり、汝の心底さぞや」と同情した。
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2013/12/13 13:55
浅井勢の中に於て、其の壮烈、朝倉の真柄直隆に比すべきものは、遠藤喜右衛門尉だ。喜右衛門の事は前にも書いてあるが、喜右衛門は、単身信長に近づいて差違えるつもりであった。彼は首を提げて血を以って面を穢し髪を振り乱し、織田勢に紛れ込み、「御大将は何処に在しますぞ」と探し廻って、信長のいるすぐ側迄来たところ、竹中半兵衛の長子久作之を見とがめ、味方にしては傍目多く使うとて、名乗りかけて引き組み、遂に遠藤の首をあげた。久作、かねて朋友に今度の戦、我れ必ず遠藤を討取るべしと豪語していた。友人が其の故を問うと、久作曰く、「我れ且て江州に遊んで常に遠藤と親しむ、故によくその容貌を知っている。遠藤戦いある毎に、必ず魁殿を志す、故に我必ず彼を討ち取るべし」と。果して其の言葉の通りであった。
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2013/12/13 13:43
戦後、信長、「義濃三人衆の横槍弱かりせば我が旗本粉骨をつくすべかりしが」と云って稲葉、氏家、安藤三人に感状、名馬、太刀等をやったところを見ると、戦いの様子が分ると思う。それに家康の方が先に朝倉に勝ったので、浅井の将士も不安になって、みだれ始めたのだろう。
徳川と織田とは、非常に離れて戦っているようであるが、最後には乱戦になったらしく、酒井忠次の払った長刀のほこ先が信長勢の池田勝三郎信輝の股に当った位だ。後年、人呼んで此の傷を左衛門疵と云った。池田と酒井とは、前夜信長の前で、家康を先陣にするかしないかで議論をし合った仲なのだ。其の時酒井は、「兎角の評議は明日の鑓先にある」と云って別れて帰った。だから酒井の長刀が池田の股に当ったことは二人とも第一戦に立って奮戦していたわけで、双方とも前夜の言葉に違わなかったわけで、「ゆゆしき振舞いかな」と人々感じあったと云う。
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2013/12/10 16:48
その一
大海かたち定めぬ劫初の代に
水泡の嵐たゆたふ千尋の底。
折しも焔はゆるき『時』の鎖、
まひろく永き刻みに囚れつつ、
群鳥翔る翼のその噪ぎと、
その疾さあらめ、宛も眠り転び、
無際の上枝下枝を火の殻負ひ
這ひもてわたる蝸牛の姿しめす。
火と水、相遇はざりし心を、今、
夜とせば、かりそめならぬ朝や日や、
舞ひたつ疾風歓喜空を揺りて、
擁きぬ、触れぬ、燃えなす願ひよ、将た、
霑すおもひよ、ここに力の芽は
男子と燻りて、雙手、見よ、披けり。
その二
水と火、噫相遇へり、青き膏、
浮浪ただよふひまをかぎろひたち、
くちづけ、手握るや、このひと時こそ
生命の精なれ、よろづの調のもと。
歌へり『劫初』、かかれば極のくまも
讃頌こだまにこたへ、化り出でたる
真白き姿―しぶきと消えぬ花や、
奇しきにほひ焔の蘂をまとふ。
現ぜる女よ、胸乳抑ふる手の
とこしへ解きもあへざる深きおもひ
つゝみて独りながむるけはひ著るし
なべての秘事孕むこは母ぞと
知れりや、水泡胡蝶のつばさ浮び、
千条の烟いぶきて薫りみちぬ。
(月刊スケツチ 第十一号 明治三十九年二月)
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2013/12/10 16:48
この次の出し物についてはいろいろの噂さ話がある。アンドレエフの物のうちで何か遣るといふやうなことも聞いてゐる。わたくしは南歐のダヌンチオあたりの短かいものなども面白からうと、ひとりでさう考へてゐる。
自由劇場は一の興行の主體として、損得の打算の上からは、或は成り立つてゆけぬ日が來るかも知れない。我々はその實際の經營には喙をさしばさむわけにはゆかない。然し自由劇場が存立する限り、外の劇場で遣ることの出來ぬ物をせいぜい見せてもらひたい。やゝもすれば沈滯がちな劇壇に新たな刺戟を與へ得れば、それで目的は達せられてゐるのではなからうか。先づ以てそれだけの目的を最小限度に決めて、極くじみに遣つていつてもらひたい。
その中には新人の創作劇に優れた作品も出來て來るにちがひない。それを上場してゆくと共に、矢張高級なヂレツタントのために、西洋物の傑作を見せるところに、自由劇場の存在の意義と理由はあるものと思ふ。
現在マネエジヤアとして小山内君の占める地位はまことに空前のかがやかしさである。わたくしはこれを小山内君の努力の致すところとして、なほ將來に對する熟考を祈つて止まぬものである。
(明治四十二年十二月)
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2013/12/10 16:47
イブセン物の上場が今後とも一般によろこばれるか否かは疑はしい。イブセンの抱懷する思想は暫く問はない。先づ以て困るのはあの一分の隙をも容れぬ理屈と皮肉とのやりとりである。本で讀む時にはもとよりそのつもりなので調子も取つてゆけるが、またその間に禪機の如きものゝ閃きをすら認め得るが、これを實際に舞臺上の對話として聽いてゐたのでは少しつらい。これは確にこちらの耳がよく馴らされてゐないせゐもあるだらう。
この試演の夕にこゝに集つた鑑賞家は東京に於ける教養の高い人々のみである。そのためにこの小劇場に過ぎぬ有樂座の内部も、座席といはず廊下といはず、濃やかな情趣に充ちた雰圍氣を釀し出して、我々をこの上なくよろこばせた。わたくしはこの事も忘れないでゐようと思ふ。
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2013/12/10 16:47
わたくしはこの脚本を讀み返してみた上で、かういふ場面は實演してどういふ風になるものか、本で讀んでこれぐらゐのところでも意外に新しい感銘を與へるのではなからうかと、頻りに想像を逞くして、出來るだけ注意を拂つて、舞臺を見詰てゐた。例へば第四幕目で、人々が戸口のところに立つてゐると、寒い空に橇の鈴の音が聞えてくる。その音を聞いて銘々が異つた感慨に沈む。その橇の鈴の音が脚本を讀んだ時からわたくしの胸に沁み込んでゐたので、特に氣をつけてゐたが、舞臺の上ではその部分が平々淡々の中に終つてしまつた。さういふ目拔きの場面が心行きが乏しいと云ふのか、兎まれ角まれ期待したほどの感銘を殘さずじまひになつたことは口惜しい。けれどもこれは實演が一般にむづかしいと刻印を押されてゐるイブセン物を始めて、我邦で出して見た試みに對しては、さう深く批難するにも當るまい。さういふ一部分の缺點は別として、大體から云へば、さほどのあらも見せず、イリユウジヨンをひどく破るといふこともなく、無事であつたことは何よりである。
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2013/12/10 16:47
わたくしはこの脚本を讀み返してみた上で、かういふ場面は實演してどういふ風になるものか、本で讀んでこれぐらゐのところでも意外に新しい感銘を與へるのではなからうかと、頻りに想像を逞くして、出來るだけ注意を拂つて、舞臺を見詰てゐた。例へば第四幕目で、人々が戸口のところに立つてゐると、寒い空に橇の鈴の音が聞えてくる。その音を聞いて銘々が異つた感慨に沈む。その橇の鈴の音が脚本を讀んだ時からわたくしの胸に沁み込んでゐたので、特に氣をつけてゐたが、舞臺の上ではその部分が平々淡々の中に終つてしまつた。さういふ目拔きの場面が心行きが乏しいと云ふのか、兎まれ角まれ期待したほどの感銘を殘さずじまひになつたことは口惜しい。けれどもこれは實演が一般にむづかしいと刻印を押されてゐるイブセン物を始めて、我邦で出して見た試みに對しては、さう深く批難するにも當るまい。さういふ一部分の缺點は別として、大體から云へば、さほどのあらも見せず、イリユウジヨンをひどく破るといふこともなく、無事であつたことは何よりである。
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2013/12/10 16:47
この第一囘の試演に用ゐたイブセンの「ボルクマン」は、わたくしにとつて忘れ難い追憶がある。それと云ふのも、この「ボルクマン」はイブセンの作中でわたくしの讀んだ最初のものであつたからである。イブセンの戯曲、その曲に含まれた人生觀や、脚本としての技巧などについては、既にいろいろの評論もあつたことであるし、わたくしとても略知つてはゐたが、特に研究して見ようと云ふ氣も起さずに過して來たのである。然るに島崎藤村さんが信州の小諸から、これを是非讀んで見ろと、わざわざ小包で送つてくれたのが、この「ボルクマン」である。わたくしは藤村さんの好意を謝しつゝ深い思ひを以てこの脚本を讀み了つた。これがイブセンを讀んだ最初である。その脚本が今我邦の舞臺に始めてかけられるといふのである。わたくしが少なからぬ希望と喜びと無上の興味とを以て、この試演を觀たことに不思議はない。
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2013/12/10 16:46
わたくしは劇壇の新しい運動が自由劇場の試演とまで漕ぎつけたことに就ては、勿論贊意を表し且つその成功を祈つてゐた。それと同時にかういふ運動は我邦に於て全く破天荒のことではあるし、第一囘の試演が蓋を開けるまではこの運動の効果に對し多少の疑懼を擁かないでもなかつた。即ち成功とは云はれぬにしても、劇壇の沈滯に對する刺戟ともなり、新藝術のために貢獻するところを期待しつゝ、果してそれがどうであらうかと、傍から觀てゐて危ぶんでゐたからである。それが愈實現されたのを見て兎に角大成功とは言はれぬまでも、その出來ばえの稍成功に近い域に及んでゐたことは、劇壇のために喜びに堪えぬところでもあるし、同時にまた小山内薫氏並に左團次一座のために祝盃を擧げてもよい次第である。わたくしはこの試演を見て、先づ以てこの具合ならば、第二第三の試演を續けて行くうちに、我邦でも眞に新しい創作劇の上場を見ることが可能であらうと感じて、ふとそれを豫想して見たことである。