分からぬは夏の日和と人心
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2013/10/29 11:04
 と云ふのは、判決文はごく短いものだが、その一節には、河上肇の「断片」を読みて遂に最後の決意をなし云々といふことが、明記されて居るのである。以前京都帝大の教授をしてゐた頃、親しくしてゐた同僚の一人である××教授が、司法省に保存してある秘密文書の中から、それを書き抜いて来て、私に見せてくれられたことがある。短いものだから其の全文を写し取つて置けばよかつたのに、今では惜しいことをしたと思ふ。
 惜しいと云へば、「断片」の原稿の無くなつたのも残念である。私は改造社に頼んで、一旦印刷所へ廻されて活字の号数などが赤インキで指定してある其の草稿を、送り返して貰つた。私はそれを特別に大事なものに思ひ、余り大事にし過ぎ、家宅捜索など受けるやうな場合に没収されてはと、別置きにして居たものだから、書類整理箱のどの抽出しを調べて見ても、今は見付からない。

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2013/10/29 11:04
 私はこの話を聞いて、出獄の暁には、ぜひ一度くだんの墓地を訪ねて見たいと思つて居たが、さて出て見ると、それも思ふやうには行かなかつた。
 最後に私は難波に対する判決文のことを書いておかう。裁判は傍聴禁止のもとに極秘の裡に行はれたから、裁判長が被告に読み聞かせた判決文もまた極秘に附せられた。もちろん司法部その他の高官たちは、総ての事情を聞き知つたであらうが、事は皇室に関する問題であり、殊に被告の態度には皇室の尊厳を汚すものがあつたので、慎み深い高官たちの中には、誰一人として余計なおしやべりなどする者は居なかつた。幸運な私は、おかげで助かつた。もし此の判決文が新聞紙にでも掲載されようものなら、私はとくの昔し甘粕大尉のやうな人に、何遍殺されてゐるか知れないのだ。

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2013/10/29 10:51
 以上の事実を委しく知つてゐる者は、極めて少数であらう。偶然にも私は、難波が私の義弟の家と姻戚関係があつたばかりに、これらの事実を委細伝聞することが出来たのである。ところで、更にまた偶然の廻り合せで、私は難波大助の屍体が葬られた当時の有様をも、或時委しく知ることが出来た。
 昭和十年の冬、小菅刑務所に服役中だつた私は、ひどい胃痛に襲はれたため、暫く病舎に収容されてゐた。この病舎には独居房は一つしかなく、当時それは瀕死の重病人で塞がれてゐたために、私のやうな治安維持法違反の受刑者は、本来ならば他と隔離して独居房に収容さるべき筈のところ、差当り十数台のベットの並べてある雑居房に入れられた。で私は、――雑談の取締が病舎では案外に寛大であつたおかげで、――側のベットに寝てゐた一人の受刑者から、難波のために墓を掘つた日の出来事を、委しく聞くことが出来た。
 難波が死刑に処せられたのは、恐らく市ヶ谷監獄であつたであらう。小菅には死刑台の設備はなかつた。しかし荒川放水路を隔てた向ふの河岸には、一つの小さな寺院があつて、そこにこの刑務所附属の墓地があつた。難波の屍体はそこへ葬られたのである。当時は社会主義者の一味が途中を擁して彼の屍体を奪ひ取る計画をしてゐるといふ噂があつたので、当局者は神経を尖らし、色々な事に特別の警戒を施した。私に話をした男は、或日の昼間、仲間と一緒に件の共同墓地に連れて行かれ、(刑務所の囲の外で働くかうした受刑者のことを、刑務所用語では外役といふ、)穴を掘らされたが、どうしてこんなに深い穴を掘るのかと、不思議でならなかつた。五寸角の大きな木材も何本か用意されてゐた。埋葬は夜分になつて行はれたが、その時もこの男は仕事を手伝つた。荒川の堤防の上には、提灯をつけた巡査や憲兵が所々にたむろしてゐた。棺は深く地中に埋め、その上を、かねて用意してあつた木材を縦横に組んで堅牢に固め上げ、最後に土砂をかけて仕事を終へたが、その時初めて担当看守から事情を聞かされた。春の彼岸と、秋の彼岸と、毎年十月二十日に行はれる獄中死歿者法会の折とには、いつも外役の者が共同墓地の掃除に行くが、今でも難波大助といふ墓標がありますぜ、などと言つてゐた。私が熱心に聞くものだから、相手は調子に乗つて、もつと事細かく手に取るやうに話してくれたが、今では記憶がうすれて、以上の程度にしか再現できない。高級デリヘル 銀座|銀座発の高級デリヘルASK
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2013/10/27 16:54
 あに計らんや、その戦争がようやく緒につくとまもなく、ドイツとの大戦争は始まったのである。かくて英人は、彼らの祖国をして「すべての人に向かってまたすべての人によって守護するだけの値うちある国たらしむる」の事業はしばらく全くこれを放棄して、まずすべての人によってこれを守護するの必要に迫られたのである。そうしてまたそれと同時に、一九〇五年自由党内閣成立するや入りて商務大臣となり、いくばくもなくして大蔵大臣に転じ、爾来数年の間、いわゆる戦争予算を編成して常に貧困と戦い、平和の時代に彼のごとき重税の賦課を要求したる大蔵大臣はかつてその例を見ずといわれたロイド・ジョージは、ドイツとの開戦以後は、戦時においてもまたいまだその例を見たることなき莫大の歳出を調理するの余儀なきに至ったが、その後軍需品の供給を豊富にすることの当面の大問題となるに及ぶや、転じて新設の軍需大臣となり、今やまた元帥キッチナーの薨ずるや、職工の親方といわれていた彼は、文官の出身をもってこの大戦に際し陸軍大臣の要職につくに至ったのである。
 ロイド・ジョージはとうとう陸軍大臣になった。しかし彼にとっては、ドイツとの戦争以上の大戦争があるはずである。たといドイツを屈服させ終わるとも、彼は戦後において、その戦前より企てし貧困に対する大戦争をば、さらにいっそうの勇気をもって続けねばなるまい。戦時においても平時においても彼は永久に軍務大臣たるべき人である。(大正五年七月十四日)

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2013/10/27 16:53
 有名なる大演説はこれで終わった。しかし彼ロイド・ジョージの仕事は決してこれで終わったわけではない。
 俊傑ロイド・ジョージは恐るべき大英国の敵を国の内外に見たのである。すなわち彼は、英国の海岸を外より脅かさんとせるドイツの恐るべきを知ると同時に、国家の臓腑を内より腐蝕せんとする貧困のさらに恐るべき大敵たることを発見したものである。されば彼は軍艦を造ると同時に、あらゆる方面において社会政策の実行を怠らなかった。その社会政策の実行が、彼のことばを借りて言えば、許しおくべからざる貧困に対する一の大戦争であるのである。それゆえ彼は、一九〇九年、平和の時代にかくのごとき重税を課することを要求した大蔵大臣はかつてその例がないという非難を冒すことをあえてして、諸種の増税計画をなし、その編成せし予算案をば自ら名づけて戦争予算であるといっているのである。

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2013/10/27 16:53
 長い長い演説がこれでしまいになったかと思うと、彼は一段と声を励まし、――私は今、速記録を見ているので、ここで彼が声を高くしたかどうか実は確かでないけれども、ことばの勢いを見てかりにこう言っておく――さらに続いて言うよう。

「人あるいは余を非難して、平和の時代にかくのごとき重税を課することを要求した大蔵大臣はかつてその例がないと言う。しかしながら、ミスター・エモット(当時全院委員長の椅子を占めていた人)、これはこれ一の戦争予算である。貧乏というものに対して許しおくべからざる戦を起こすに必要な資金を調達せんがための予算である。余はわれわれが生きているうちに、わが社会が一大進歩を遂げて貧乏と不幸及び必ずこれに伴うて生ずるところの人間の堕落というものが、かつて森に住んでいた狼のごとく全くこの国の人民から追い去られてしまうというがごとき、よろこばしき時節を迎うるに至らんことを望みかつ信ぜざらんとするもあたわざる者である。」

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2013/10/27 16:53
けだし新たに徴収さるべき金は、まず第一に、わが国の海岸を何人にも侵さしめざるようこれを保証することのために費やさるべきものである。それと同時にこれらの金はまた、この国内における不当なる困窮をば、ただに救済するのみならず、さらにこれを予防せんがために徴収さるるものである。思うにわが国を守るがため必要なる用意をば、常に怠りなくしておくということは、無論たいせつなことである。しかしながら、わが国をしていやが上にもよき国にしてすべての人に向かってまたすべての人によって守護するだけの値うちある国たらしむることは、確かに同じように緊要なことである。しかしてこのたびの費用はこれら二つの目的に使うためのもので、ただその事のためにのみこのたびの政府の計画は是認せらるるわけである。」

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2013/10/27 16:53
 ロイド・ジョージはとうとう陸軍大臣になった。
 ロイド・ジョージがいよいよ陸軍大臣になったと聞いて、思い起こさずにはおられぬ彼の演説の一節がある。その一節というは、今より七年あまり前、すなわち一九〇九年の四月二十九日、当時の大問題たりし増税案につき、彼が時の大蔵大臣として有名なる歴史的大演説を試みし時、最後に臨んで吐き出した次の一節である。

「さて私は、諸君が私に非常なる特典を与えられ、忍耐して私の言うところに耳傾けられたことを感謝する。実は私の仕事は非常に困難な仕事であった。そはどの大臣に振り当てられたにしても、誠に不愉快なる仕事であったのである。しかしその中にただ一つだけ私は無上の満足を感ずることがある。そはこれらの新たなる課税がなんのために企てられたかということを考えてみるとわかる。
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2013/10/27 16:52
 思うにもし英国の富豪ないし資本家にして、消費者としてはた生産者としての真の責任を自覚するに至るならば、ただに国内における社会問題を平和に解決しうるのみならず、また世界の平和をも維持しうるに至るであろう。
 これをもって考うるに、ひっきょう一身を修め一家を斉うるは、国を治め天下を平らかにするゆえんである。大学にいう、「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む。其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉う。其の家を斉えんと欲する者は、まず其の身を修む。身修まって後家斉い、家斉うて後国治まり、国治まって後天下平らかなり。天子より以て庶人に至るまで、一に是れ皆身を修むるをもって本を為す。その本乱れて末治まる者は否じ矣」と。嗚呼、大学の首章、誦しきたらば語々ことごとく千金、余また何をか言わん。筆をとどめて悠然たること良久し。(十二月二十六日)

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2013/10/27 16:52
 以上はしばらくセリグマン教授の解釈に従ったものであるが(同氏著『現戦争の経済的説明*』による)、私が今この事をここに引き合いに出したのは、これらの諸国が資本輸出の競争のために幾百万の生民の血を流さなければならぬという事が、ある意味においていかにも不思議であるからである。

* Seligman, The Economic Interpretation of the War, 1915.

 今英国人にとっては縁もなき異国人たる私が、改めて彼らのために説くまでもなく、たとえば『エコノミスト』主筆ウィザース氏がその近業『貧乏とむだ*』の中に詳論せるがごとく、今日英国の本土内においても起こすべき仕事がなおたくさんにあるのである。私はこの物語の上編において、いかに英国民の大多数が貧乏線以下に沈落して衣食なお給せざるの惨状にあるかを述べたが、これら人々の生活必要品を供給するだけでもすでに相当な仕事が残っていると言わなければならぬ。さるにもかかわらず、最も資本に豊富な世界一の富国たる英国において、それらの仕事が皆放棄されたままになっているのは、それら貧乏人の要求に応ずべき事業に放資するよりも、海外未開地の新事業に放資する方がもうけが多いからである。かくて世界一の富国たる英国は同時に世界一の貧乏人国として残りつつ、しかも資本の輸出の競争のために国運を賭してまで戦争しなければならなくなったのである。

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