分からぬは夏の日和と人心
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2013/09/30 10:59
こんな晴れわたった午前でさえ、父の部屋がまっ暗であることに、ゲオルクは驚いた。狭い中庭の向うにそびえている壁は、それほどの影を投げていた。父は、亡くなった母のさまざまな思い出の品に飾られている部屋の片隅の窓辺に坐り、いくらか衰えてしまった視力の弱さを補おうとして、新聞を目の前に斜めに構えて、読んでいた。机の上には朝食の残りがのっていたが、その朝食はたいして手がつけられていないように見えた。
「ああ、ゲオルクか!」と、父はいって、すぐ彼のほうに歩み寄ってきた。重たげな寝衣が、歩くときにはだけて、すそがひらひらした。――「おやじは相変らず大男だな」と、ゲオルクは思った。
「ここはまったくかなわないほど暗いですね」と、彼はいった。
「そうだ、もう暗くなった」と、父は答えた。
「窓も閉めてしまったんですね?」
「わしはそのほうがいいんだ」
「そとはほんとうに暖かですよ」と、ゲオルクは前の言葉につけたすようにいって、椅子に坐った。
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2013/09/30 10:59
この手紙を手にして、ゲオルクは顔を窓に向けたまま、長いあいだ机に坐っていた。通りすがりに横町から会釈した一人の知人に対しても彼は放心したような微笑でやっと答えただけだった。
やがて彼はその手紙をポケットに入れ、部屋を出ると、小さな廊下を通って父の部屋へいった。もう何カ月かのあいだ、彼はその部屋へいったことがなかった。また、その必要も全然なかったのだった。というのは、彼は父とはいつでも店で出会っていたのだ。二人はある食堂で昼食を同時にとるのだった。晩は、二人とも好きなような行動をするのではあったが、そのあとではなおしばらく共同の居間に坐って、めいめいが新聞を読んで過ごした。もっとも、ゲオルクが友人たちといっしょにいることや、このごろでは婚約者が彼を訪ねることが、いちばん多いのではあった。
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2013/09/30 10:57
「最大のニュースのことをぼくは最後まで取っておいた。ぼくはフリーダ・ブランデンフェルトという娘と婚約した。この人は金持の家庭の娘だ。その家庭は、君がここから去ってからずっとあとになって当地に住むことになったのだ。だから、君はこの家のことはほとんど知っていないはずだ。ぼくの婚約者についてもっとくわしいことを知らせる機会はあるだろう。きょうのところは、ぼくがほんとうに幸福であり、ぼくたち同士の間柄では、君がぼくのうちに今ではごくありふれた友人を持つばかりでなく、幸福な友人を持つことになるというだけのちがいしかないのだ、ということで満足してくれたまえ。さらに君は、ぼくの婚約者のうちに、一人の誠実な女友だちを持つことになるのだ。それは君のような独身者にとっては、けっして無意味なことではない。彼女は君に心からよろしくといっているし、近く君に手紙を書くだろう。君がぼくたちを訪ねてくれることにいろいろ妨げがあることは、ぼくも知っている。しかし、ぼくの結婚式は、あらゆる障害を一気に打ち破る絶好のチャンスではないだろうか。だが、それはどうあろうとも、どんな顧慮もなく、ただ君の本心に従って行動してくれたまえ」
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2013/09/10 00:06
車掌に注意されて、彼は福島で下車した。朝の五時であった。それから晩の六時まで待たねばならないのだ。
耕吉は昨夜の十一時上野発の列車へ乗りこんだのだ、が、奥羽線廻りはその前の九時発のだったのである。あわてて、酔払って、二三の友人から追いたてられるようにして送られてきた彼には、それを訊ねている余裕もなかったのだ。で結局、今朝の九時に上野を発ってくる奥羽線廻りの青森行を待合せて、退屈なばかな時間を過さねばならぬことになったのだ。
が、「もとより心せかれるような旅行でもあるまい……」彼はこう自分を慰めて、昨夜送ってきた友だちの一人が、意味を含めて彼に贈ってくれたところのトルストイの「光の中を歩め」を読んでいた。
ストーヴのまわりには朝からいろいろな客が入替った。が耕吉のほかにもう一人十二三とも思われる小僧ばかりは、幾回の列車の発着にも無頓着な風で、ストーヴの傍の椅子を離れずにいた。小僧はだぶだぶの白足袋に藁草履をはいて、膝きりのぼろぼろな筒袖を着て、浅黄の風呂敷包を肩にかけていた。
「こらこら手前まだいやがるんか。ここは手前なぞには用のないところなんだぜ。出て行け!」
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2013/09/10 00:06
渋谷の終点で電車を下りて、例の砂利を敷いた坂路を、三人はKの下宿へと歩いて行った。そこの主人も主婦さんも彼の顔は知っていた。
彼は帳場に上り込んで「実は妻が田舎に病人が出来て帰ってるもんだから、二三日置いて貰いたい」と頼んだ。が、主人は、彼等の様子の尋常で無さそうなのを看て取って、暑中休暇で室も明いてるだろうのに、空間が無いと云ってきっぱりと断った。併しもう時間は十時を過ぎていた。で彼は今夜一晩だけでもと云って頼んでいると、それを先刻から傍に坐って聴いていた彼の長女が、急に顔へ手を当ててシク/\泣き出し始めた。それには年老った主人夫婦も当惑して「それでは今晩一晩だけだったら都合しましょう」と云うことにきまったが、併し彼の長女は泣きやまない。
「ね、いゝでしょう? それでは今晩だけこゝに居りますからね。明日別の処へ行きますからね、いゝでしょう? 泣くんじゃありません……」
併し彼女は、ます/\しゃくりあげた。
「それではどうしても出たいの? 他所へ行くの? もう遅いんですよ……」
斯う云うと、長女は初めて納得したようにうなずいた。
で三人はまた、彼等の住んでいた街の方へと引返すべく、十一時近くなって、電車に乗ったのであった。その辺の附近の安宿に行くほか、何処と云って指して行く知合の家もないのであった。子供等は腰掛へ坐るなり互いの肩を凭せ合って、疲れた鼾を掻き始めた。
湿っぽい夜更けの風の気持好く吹いて来る暗い濠端を、客の少い電車が、はやい速力で駛った。生存が出来なくなるぞ! 斯う云ったKの顔、警部の顔――併し実際それがそれ程大したことなんだろうか。
「……が、子供等までも自分の巻添えにするということは?」
そうだ! それは確かに怖ろしいことに違いない!
が今は唯、彼の頭も身体も、彼の子供と同じように、休息を欲した。
(大正七年三月「早稲田文学」)
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2013/09/10 00:05
「そうだ、感興性を失った芸術家の生活なんて、それは百姓よりも車夫よりもまたもっと悪い人間の生活よりも、悪い生活だ。……それは実に悪生活だ!」
ポカンと眼を開けて無意味に踊り子の厭らしい踊りに見恍れていた彼は、彼等の出て行く後姿を見遣りながら、斯うまた自分に呟いたのだ。そして、「自分の子供等も結局あの踊り子のような運命になるのではないか知らん?」と思うと、彼の頭にも、そうした幻影が悲しいものに描かれて、彼は小さな二女ひとり伴れて帰ったきり音沙汰の無い彼の妻を、憎い女だと思わずにいられなかった。
「併し、要するに、皆な自分の腑甲斐ない処から来たのだ。彼女は女だ。そしてまた、自分が嬶や子供の為めに自分を殺す気になれないと同じように、彼女だってまた亭主や子供の為めに乾干になると云うことは出来ないのだ」彼はまた斯うも思い返した。……
「お父さんもう行きましょうよ」
「もう飽きた?」
「飽きちゃった……」
幾度か子供等に催促されて、彼はよう/\腰をおこして、好い加減に酔って、バーを出て電車に乗った。
「何処へ行くの?」
「僕の知ってる下宿へ」
「下宿? そう……」
子供等は不安そうに、電車の中で幾度か訊いた。
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2013/09/10 00:05
幾年か前、彼がまだ独りでいて、斯うした場所を飲み廻りほつき歩いていた時分の生活とても、それは決して今の生活と較べて自由とか幸福とか云う程のものではなかったけれど、併しその時分口にしていた悲痛とか悲惨とか云う言葉――それ等は要するに感興というゴム鞠のような弾力から弾き出された言葉だったのだ。併し今日ではそのゴム鞠に穴があいて、凹めば凹んだなりの、頼りも張合いもない状態になっている。好感興悪感興――これはおかしな言葉に違いないが、併し人間は好い感興に活きることが出来ないとすれば、悪い感興にでも活きなければならぬ、追求しなければならぬ。そうにでもしなければこの人生という処は実に堪え難い処だ! 併し食わなければならぬという事が、人間から好い感興性を奪い去ると同時に悪い感興性の弾力をも奪い取って了うのだ。そして穴のあいたゴム鞠にして了うのだ――\r
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2013/09/10 00:04
「お父さん、僕エビフライ喰べようかな」
寿司を平らげてしまった長男は、自分で読んでは、斯う並んでいる彼に云った。
「よし/\、……エビフライ二――」
彼は給仕女の方に向いて、斯う機械的に叫んだ。
「お父さん、僕エダマメを喰べようかな」
しばらくすると、長男はまた云った。
「よし/\、エダマメ二――それからお銚子……」
彼はやはり同じ調子で叫んだ。
やがて食い足った子供等は外へ出て、鬼ごっこをし始めた。長女は時々扉のガラスに顔をつけて父の様子を視に来た。そして彼の飲んでるのを見て安心して、また笑いながら兄と遊んでいた。
厭らしく化粧した踊り子がカチ/\と拍子木を鼓いて、その後から十六七位の女がガチャ/\三味線を鳴らし唄をうたいながら入って来た。一人の酔払いが金を遣った。手を振り腰を振りして、尖がった狐のような顔を白く塗り立てたその踊り子は、時々変な斜視のような眼附きを見せて、扉と飲台との狭い間で踊った。
幾本目かの銚子を空にして、尚頻りに盃を動かしていた彼は、時々無感興な眼附きを、踊り子の方へと向けていたが、「そうだ! 俺には全く、悉くが無感興、無感激の状態なんだな……」斯う自分に呟いた。
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2013/09/10 00:04
空行李、空葛籠、米櫃、釜、其他目ぼしい台所道具の一切を道具屋に売払って、三百に押かけられないうちにと思って、家を締切って八時近くに彼等は家を出た。彼は書きかけの原稿やペンやインキなど入れた木通の籠を持ち、尋常二年生の彼の長男は書籍や学校道具を入れた鞄を肩へかけて、袴を穿いていた。幾日も放ったらかしてあった七つになる長女の髪をいゝ加減に束ねてやって、彼は手をひいて、三人は夜の賑かな人通りの繁しい街の方へと歩いて行った。彼はひどく疲労を感じていた。そしてまだ晩飯を済ましてなかったので、三人ともひどく空腹であった。
で彼等は、電車の停留場近くのバーへ入った。子供等には寿司をあてがい、彼は酒を飲んだ。酒のほかには、今の彼に元気を附けて呉れる何物もないような気がされた。彼は貪るように、また非常に尊いものかのように、一杯々々味いながら飲んだ。前の大きな鏡に映る蒼黒い、頬のこけた、眼の落凹んだ自分の顔を、他人のものかのように放心した気持で見遣りながら、彼は延びた頭髪を左の手に撫であげ/\、右の手に盃を動かしていた。そして何を考えることも、何を怖れるというようなことも、出来ない程疲れて居る気持から、無意味な深い溜息ばかしが出て来るような気がされていた。
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2013/09/10 00:04
警部の鈍栗眼が、喰入るように彼の額に正面に向けられた。彼はたじろいだ。
「……いや君、併し、僕だって君、それほどの大変なことになってるんでもないよ。何しろ運わるく妻が郷里に病人が出来て帰って居る、……そんなこんなでね、余り閉口してるもんだからね。……」
「……そう、それが、君の方では、それ程大したことではないと思ってるか知らんがね、何にしてもそれは無理をしても先方の要求通り越しちまうんだな。これは僕が友人として忠告するんだがね、そんな処に長居をするもんじゃないよ。それも君が今度が初めてだというからまだ好いんだがね、それが幾度もそんなことが重なると、終いにはひどい目に会わにゃならんぜ。つまり一種の詐欺だからね。家賃を支払う意志なくして他人の家屋に入ったものと認められても仕方が無いことになるからね。そんなことで打込まれた人間も、随分無いこともないんだから、君も注意せんと不可んよ。人間は何をしたってそれは各自の自由だがね、併し正を踏んで倒れると云う覚悟を忘れては、結局この社会に生存が出来なくなる……」