分からぬは夏の日和と人心
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2014/03/27 20:14
「なにもいふことない……あんたの顔みればいゝ……」
と、保枝の耳は、とぎれとぎれではありますが、たしかに聞きました。
「誰が飲ましたの!」
保枝は、こんどは、常子の耳のそばで、囁いてみました。そして、その返事をきゝとるために耳を再び、その唇に寄せます。
「だれでもない……あたしでもない……グラン・タムール……」
この最後の言葉は、保枝には、すぐには腑に落ちませんでした。しかし、なにか、悲しいほゝえみの調子をふくんだその言葉は、保枝の心をかきみだしました。
「誰でもない……自分でもない、……」
と、保枝は、それだけを口の中で繰り返し、そのことを藤本にそつと伝へました。
「それがなんのことだかわからんのです。やつぱり多少、頭へ来てゐるからでせうな」
「でも、むやみに人を疑ふわけにも行きませんわね。いつたい、どんな方、今日みえたつていふ三人の方は……」
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2014/03/27 20:13
そこで、藤本が、引きとつて、
「だからさ、今日午前中に四人も出入したものがあるんだから、ご自分でないといふことになれば、その四人のうち、誰かゞ、といふことになるんです。その方はもちろん早速、警察で手配をしてくれてゐます。大庭さんは、さつきやつと意識を快復されたんですが、すると、すぐに、あなたに会ひたいと云はれるんです。平生から度々お名前は伺つてゐましたし、無二のご親友といふことでしたから、とりあへずお知らせしたわけで、実にどうも、意外な事件です」
保枝はさういふ説明を聴きながら、常子の様子をぢつと見入つてゐた。まだ口は利けないらしく、こつちの云ふこともはつきり聞えるかどうか疑はしいやうに思はれました。が、彼女はもう一度、顔を近づけた。
「常ちやん……あたしが来てるのよ。わかるんでせう?」
大庭常子は、薄く見開いた眼で、保枝の視線を探してゐます。なにやら、口を動かして、話しかけたい様子はさつきと変りありませんが、かすかに唇から呼吸のもれる気配がします。保枝は、すぐに、耳をその唇の上に重ねました。
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2014/03/27 20:13
一、二度顔見知りの笹山千鶴子が、この時、保枝の耳もとで囁きました――
「先生は今朝までお元気だつたんです。十時ごろ、あたしが外から帰つて参りますと、不意に、――どうも変だ。気分がわるいつておつしやつて、横にならうとなすつたら、もう、おからだが動かないんです。やつとベツトへお連れしたんですけれど、……お医者様は、なんか劇薬のやうなものをお飲みになつたらしいつておつしやるんです。でも、そんなご様子はちつともございませんのです」
すると、その医者が口を挟んだ――
「むろん、服毒の徴候は明らかですが、多分近頃流行のアレだと思ひます。一応応急手当は、すませましたが……どうも……」
と、そこで、あとを言ひしぶります。
「それで、自分で飲んだか、人にのまされたか、それもわからないんですか」
と、保枝は、笹山千鶴子の方をまるで責めるやうに見据えます。
「それが、あたくしにも、さつぱりわからないんですの。――かういふ容態になるのを、ご自分でもまつたく予期していらつしやらないところをみると……」
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2014/03/27 20:11
私の友人は、鍵にも携帯にもキーホルダーをジャラジャラつけています。そんなにつけるとカバンに引っかかって出しづらいのではないかと、こちらが気になってしまうほどにです。
お気に入りのキーホルダーをはずすことができないのかなと思っていたのですが、本人に訊ねてみるとそうではないらしく。時々総入れ替えをしたり、統一性を持たせたりしているとのことでしたが、端から見ていて全く気付きませんでした。
本人はしっかりキーホルダーを把握しているらしく、1個取れちゃったといってカバンを探していた時、本当に小さなキーホルダーが出てきたときはびっくりしました。私は最初から、その存在を認識してもいませんでした。
キーホルダーへの愛が、私のものとは比べ物にならないほど大きいのは間違いありません。
キーホルダー屋さん
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2014/03/07 10:42
新劇の大衆化といふ方法もその一つだ。何が大衆化かといふと、結局、頭の悪い誤魔化しをやることだ。それでは、肝腎の新劇がどつかへ行つてしまふことになる。新劇といふのは、別に六かしい劇といふことではない。だから、落ちついて考へれば、そんなに大衆化を計らなくても、うまくさへやれば、誰にでもわかり、誰にでも興味のもてる芝居なのである。
そこで、戯曲の方面でも、舞台の方面でも、演劇の本質といふ問題が、真面目に考へられはじめた。戯曲では、雑誌「劇作」による新人達が「企まずして面白い戯曲」を書き、舞台では、築地座の連中が、「白」を正確に云ふことだけで、「白から面白い芝居」を作り上げる実験を試みた。
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2014/03/07 10:41
新劇といふ言葉も、可なり古くなつた。そして、新劇といへば、もう世間で、あああれかと思ふやうになつた。
ところが、われわれの目指してゐるのは、そんなものではない筈である。少くとも、今日、情実を離れて新劇を云々する者は、現在の新劇に幾分愛想をつかし、なんとかならぬものだらうかといふ嘆声をひとしく漏らしてゐる。
ある者は、新劇が面白くないと云ふ。面白いとか面白くないとかいふのは、その人々によつて標準が違ふから、これはなんとも云へぬが、兎に角、その理由をいろいろ挙げて、打開策を講じるといふ傾向が見えはじめた。
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2014/03/07 10:41
それでそのためには、今すぐにいろいろな新劇の団体を合同して、華々しい仕事に取りかからうといふのではないので、寧ろこの新劇倶楽部では、演劇に関する各専門家が、十分に日本の現状に即しての将来への演劇文化向上といふ問題について、研究協議を行ふことになるものと思ふのである。そのうち現在計画されてゐる事柄といふのは、先づ俳優養成所を設けて、現代劇俳優の基礎的訓練を行ふこと、研究的な演劇をやつて行くための経済組織の合理化、同時に現代の社会状勢に応じる、十分文化的意義をもつと共に、一般大衆の興味を惹き得るやうな演劇の要素を探究すること、などが考へられてゐるのである。かくて新年度からは、倶楽部のいろいろな部門が活動を始め、これが倶楽部加盟の各個人、及び団体の活動と相俟つて、この新劇倶楽部からは、恐らく広い意味での、新劇指導精神といふものが生れるであらうことを期待するものである。(談)(一九三五・二)
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2014/03/07 10:41
そしてそれから引いて、少なくとも今日ある劇団が今すぐに合同して一つの劇団を作るといふことは不可能だが、新劇関係の団体や個人達がお互に協力して、将来この新劇が、十分自活して行けるやうな地盤を作らうではないか、それには、今日までこの新劇がどういふ訳で十分に見物を惹くことができなかつたか、或はまた新劇の作家や俳優たちがどういふ訳で、各々の才能を十分に揮ひ得ないうちに、その仕事を擲つて去らなければならなかつたか、これは結局新劇が職業的に独立し得られなかつたからであるか、等々の問題を研究し合つて、早く云へば、新劇が日本の現代文化の中で十分教養ある人達の魅力になるやうな本質的な価値を発揮するやうに、いろいろな方面からその基礎を築いて行かうではないか、といふのがこの暮に成つた新劇倶楽部の趣意であつた。
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2014/03/07 10:40
去年の半ば頃から生れて来た所謂新劇の大同団結運動といふのは、簡単にいふならば、それぞれに少数にすぎない熟練的技術者を擁して、一つの劇団としては十分に客を惹く力に乏しいところから、寧ろ各劇団の優秀な技術者を引抜いて、それで一つの劇団を拵へて、十分職業的に自活し得るものにして行きたいといふのがその趣旨であつた。これは一応理想としては結構な考へだと受取れるが、それでは今日あるところのいろいろの劇団の特色といふものが失はれて仕舞ふことになる。それでその特色を生かして行きたいとする連中は、この大同団結の実行を危むに至つた。
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2014/03/07 10:40
現在わが国が当面してゐるやうな情勢では反資本主義的思想の争闘的ポーズのみを「進歩的」なりと称することは、著しく独善の臭ひを発散させ、少くとも新劇のあらゆる面での進歩発展に目をふさぐ結果になりはしないかと思ふ。
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これに対して、新劇のうちの「進歩的ならざる」ものを「芸術的演劇」――(芸術至上主義的演劇の略語か)と呼んでゐるのもどうかと思ふ。悪口はいくらでもいへるにしろ、芸術至上主義などといふ洒落たものが生れる時代ではないのである。