分からぬは夏の日和と人心
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2014/02/11 14:55
以上のとほり、昭和の初め頃までに戯曲家として初登場をした人々のうち、今日、専ら劇作をもつて世に立つと称し得るもののないことは、なんといつても淋しいことである。(戯曲家でも一方にちやんとした詩や小説が書け、或は詩人や小説家で立派な戯曲も書くといふことがどんなに望ましいことであるか、それは言ふまでもないことである。)
ところが、すべての条件がそんなに変つてもゐないのに、昭和七、八年頃から、劇文学の新しい芽が徐々に根を張つたやうな形になつて来た。言ひかへれば、劇作のみに専心して他を顧みない少数ではあるが有能な若い人達が現はれ、現在なほ、それらの人々は、執拗に戯曲を書きつゞけて倦む気色が見えぬのである。劇作は彼等にとつては、もはや、試みでも気紛れでもない。況んや、生活の手段の如きではさらさらない。たゞたゞ一途に、劇文学の道に精進するが如く私には感じられて、強く心をうたれるものがある。
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2014/02/11 14:54
菊池寛、山本有三、久米正雄、武者小路実篤、久保田万太郎の五人が轡を並べて劇文壇にその才を放つた時代は大正初業から中期にかけてである。震災直後から昭和にはいつて、再び戯曲界が活気を帯び、前記の諸氏は別として、小説家で戯曲を書きはじめた人も多く、新しく劇作をひつさげて文壇にデビユウするものが可なりあつた。或は世人の記憶に遠くなつてゐるかもわからぬから、それらの名前をざつと挙げれば、小説家として戯曲をいくつか発表したのは、佐藤春夫、正宗白鳥、室生犀星、谷崎潤一郎、長与善郎、横光利一、舟橋聖一、池谷信三郎、等であり、新進戯曲家としては、関口次郎、高田保、金子洋文、鈴木泉三郎、藤井真澄、水木京太、能島武文等があつた。私も、その頃、第一作を演劇新潮といふ雑誌に発表する機会を与へられたのである。
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2014/02/11 14:54
わが国の場合を考へてみると、専門の劇作家として生涯を送つたのは、おそらく、名もなき座附作者をのぞけば、河竹黙阿弥が最後の人ではないかと思ふ。坪内逍遥や岡本綺堂はやゝそれにちかいかも知れぬが、私に言はせると、これは「現代作家」の列に加へていいかどうか疑問である。
小山内薫と森鴎外は、共に新作家を刺激して戯曲の開花時代を招いたが、その時以来、多くの有望な新進戯曲家が、登場したにも拘はらず、いづれも、中途で劇作の筆を止めてしまふか、さもなければ、たまに雑誌への責ふさぎに戯曲を書く気になるか、そのいづれかである。
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2014/02/11 14:54
出会いからの難しさ
20代も後半に差し掛かり
独身のまま悠々自適に生活していると
ふと気付けば周りはすっかり既婚者だらけ…
そんなありがちな展開に陥っている私は
最近になっていよいよ、親族や友人から
ことあるごとに出会いを急かされるようになりました。
しかし、改めて出会いを意識してみると
最近は出会ってからの方が難しいと
しみじみ思うことがあります。
というのも、昔は独り身の理由といえば
出会いのなさを嘆くものが圧倒的でしたが
今や出会いはそこら中に転がっていると言っても過言ではありません。
例えば、TwitterやLINEなどを介しての出会いも
今では人々の抵抗感が薄れ、一般的に浸透していますし
身近な出会いがなくとも簡単にその範囲を広げることが出来ますよね。
けれど、だからこそ出会いが簡単になりすぎて
少しの不一致だけであっさりと切り捨てる人が増え
人間関係の長期化が難しくなったように思うんです。
出会いがないというのも困りものですが
出会いがありすぎるというのもまた、難しいものですよね。
出会い系
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2014/02/11 14:53
いくらかの例外はあるが、戯曲がその上演に先だつて活字になることはない。従つて、活字になつた戯曲には、上演記録が附せられ、初演の際の劇場と配役がちやんとわかるやうになつてゐる。
更に注意すべきことは、戯曲の上演による作家の収入である。これは劇作家組合の規定で入場料の十パーセント以上となつてゐるから、大体の想像はつくと思ふ。すこし名前が知れた作家ならば、一年一作で十分生活の保証が得られるばかりでなく、時には、ロスタンのやうに十年計画で一作と取り組み、または、パニヨオルのやうに、処女作のロングランによつて産を成すといふ男も出て来るわけである。尤も、劇作家が興行者なみの投機心を起す危険も、そのためになくはなく、そのこと自体の善し悪しは問題の外であるが、ともかく、小説家にしても、いはゆるブツク・メエカアがないわけではないのだから、その一事を以て、劇作の仕事を不純なりと断じるわけにいくまい。つまり、私の言ひたいことは、戯曲作家も、小説作家の如く、専業が成り立つといふことなのである。
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2014/02/11 14:52
私は過去二十五年間を顧みて、まことに感慨無量だといふのは、わが国に、それ以来ほとんど一人も雑誌ヂヤアナリズムをはなれて戯曲作家らしい戯曲作家が生れてゐないといふことである。その理由はすこぶる簡単で、文学作品としての戯曲はすべての劇場に受け容れられず、たまたまこれを上演する劇団があつても、作家の生活はそれによつて支へられる希望がまつたくないといふことである。
世界のいづれの国でも、劇作家は劇場のために作品を書くのが原則で、その上演はもちろんつねに保証されてゐるわけではないが、少くとも、上演の可能性が作家を鼓舞激励して創作活動に向はせる仕組みになつてゐる。そして、一旦、舞台にかけられゝば、作品の価値はおのづから決定するのである。興行としての成功不成功はいろいろの条件に左右されるけれども、劇作家としての真価は作品の舞台化をもつてはじめて発揮され、世評もまたそれによつて定まるのが普通である。
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2014/02/11 14:52
進んだ、といふのは、進歩の意味よりも、むしろ進化の意味であることはもちろんである。フランスで云へば、私はパニヨオル、ジロドウウぐらゐまでしか読んでゐないし、日本の新作家では、さあ、誰といつたらいゝか、まづ戦争直前ぐらゐまでに目立つた作品を公にした人々を最後として、それ以後の新人の名はほとんど知らないといつてよかつたのである。
蔵書を焼いてしまひ、そのうへ田舎住ひをしてゐるので、新知識の獲得には甚だ不便であるが、あれこれと手に入る材料を漁つてみて、やつと、大戦後におけるアメリカやフランスの演劇界消息をおぼろげに知ることができた。菅原卓、川口一郎、加藤道夫三君のアメリカ劇紹介、佐藤朔、鈴木力衛両君編輯の「現代フランス演劇」第一、第二輯は、ともに大きな参考になつた。
が、それはそれとして、私は、一方、最近の雑誌を注意しながら、日本の劇作家がどういふ道を歩いてゐるかを、極めておほざつぱにではあるが、推測することができたのは大へんうれしかつた。なぜなら、これでわが劇文学の進路が、今日までのところ、非常にはつきりしたといへるからである。
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2014/02/11 14:52
私が戯曲を書きだしてからもう二十五年になる。四半世紀たつたといふわけである。その間に、いろいろな事情でしばらく戯曲の創作から遠ざかつてゐたこともあるが、やはりそれは自分の文学的故郷のやうなものであるから、折にふれて、いつかはまたそこへ帰りたいといふ願望がしきりに私を襲つた。
戦争もすみ、新劇団も活溌に動きだし、昔から関係の深かつた俳優諸君の健在を眼のあたり舞台で知る機会もでき、私は久々で戯曲を書いてみる感興をおぼえたのである。
しかし、妙なもので、いざ書かうとすると、なんとなく勝手が違ひ、機械なら歯車がうまく噛み合はないやうなもどかしさを感じてすこしギヨツとした。
さて、自分でまた戯曲を書くだんになると、新旧内外の戯曲にも以前のやうな親しみを覚えてくる。勉強のためにも、努めて、さういふものに眼を通さうとするのであるが、今、私が一番気になることは、この二十五年間に、世界の、特にわが国の劇文学がどういふ方向に、そして、どの程度に進んだかといふことである。
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2014/02/11 14:52
これは一種のセンチメンタリズムである。感傷の過度は常にヒステリカルな表情になる。これが、舞台を知らず知らず「妙な暗さ」で包むことになる。つまり、「暗い現実」というものはあるに違いないけれども、これを語るのには、「暗い語り方」しかないわけではない。
ゴーリキイは、この戯曲「どん底」において、いわば社会の「暗黒面」を描いてみせるのであるが、作者自身、こういう人々と共に、生き、悲しみ、歌い、絶望し、憤り、そして、なおかつ、明日の光明を待ち望んでいることが、はっきり感じられる。
少くとも、作者は、自分たちの不幸と苦難とを語るために、徒らに興奮はしていない。むしろ、「面白い話」をして聞かせ、相手を楽しませることによって、自分も笑い興じたい、かの「話好き」の本性の如きものをむき出しにしている。
最後に、私がこの演出を引受けた最も大きな理由は、神西清氏の新訳が間に合いそうだということであった。間に合うには間に合ったが、テキストレジーに十分暇をかけることが出来ず、作者にも訳者にも申訳ないような杜撰なレジーしかできなかった。完全な訳を是非白水社版世界戯曲選集について参照されたい。
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2014/02/11 14:51
稽古場に帰って、皆で感想を語り合ったが、私が座員諸君の注意を促したのは、モスクワ芸術座の「どん底」が、想像以上に明るい印象を与えた、ということであった。それはなんのためか? いろいろ原因はあるが、第一に、こういう生活のなかにもあるロシア民衆の底抜けの楽天性である。しかし、この民族的特質は、やはり、ロシアの俳優でなければ、十分に出せないものではあろうけれど、われわれもそのことを頭において、それぞれの人物のイメージを描かなければならぬこと、演出上の配慮もまた、この一点を忘れては大事なものを失う結果になること、であった。だいたいに、日本人のわれわれは、生活の不幸な面、例えば、貧しさとか、病いとか、怒りとか、争いとか、特に死というような場面を舞台の上に描き出す時、必要以上に感情的な表現をする傾向がある。