分からぬは夏の日和と人心
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2014/05/20 18:56
道徳的であらうとするものが、やゝもすれば偽善者とみられ、自ら道徳家をもつて任ずるものゝ言行が、いはゆる道学者風な衒気をはなつのは、観念が風俗から遊離して、常人の感情にゴツリとさわるからである。
日本人は、元来、かういふ点にかけては極端に潔癖な筈である。
電車の中で老人に席を譲るのも、よほどよぼよぼな老人でないと見て見ぬふりをする者が多い。必ずしもずるいわけではあるまい。善行と見えることがそれほど辛いのだと云ふものがあれば、私は、苦笑をもつて、これを赦すであらう。席を譲つたばかりに、眼のやり場に困つてゐる若い人たちを私はいくどゝなく見かけた。もともと、こんな些細なことを業々しく道徳として教へたものゝ罪であり、また同時に、これを観念として注ぎこむことに急で、日常の作法として速かに風俗化することを等閑に附した弊である。
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2014/05/20 18:56
公衆道徳の訓練をしなければならぬといふものがある。いや、それよりも前に、個人道徳の確立が急務であるといふ説もでる。
私はそのいづれにも半分づゝ賛成であるが、その目的を達するためには、これまで行はれてゐたやうな方法では百年河清をまつに等しいといふことを断言する。
例へば、闇取引の話がはじまる。憤慨して聞いてゐたものが、相手の事もなげな話しぶりにだんだん釣り込まれ、遂に人ごとのやうな興味に心を躍らせ、相手自身の半ば露悪的な告白に何時の間にか耳を傾けながら、遂にそんなものかと諦めてしまふのである。この現象には、たしかに、空おそろしい半面もひそんではゐるが、また同時に、腹の立たないやうな洒脱なところもあるのであつて、事の軽重がかくも不均衡に取扱はれてゐる状態を私はこゝで特に注意したいのである。人間の良心が、正しく素直に発露するためには、それがどこかでぶつかる手応へといふものがなければならぬ。正義派といふものゝ現実的なをかしみは、正義を標榜する身振りの常識に反する形式にあるのである。
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2014/05/20 18:56
その思想を生み育てた風俗の伝統は、文学や映画を通じて芸術以前の魅力として受け取られ、これを模倣して得々たるものは、さすがに思想とは縁のない軽薄な手合のみである。が、それもまた現代風俗の混乱を示す一分子たる役目は演じてゐるのである。
わが国古来の風習も、その守られ方の如何によつて、時代にそぐはぬものとなり、われわれの生活の誇るべき表示とはならぬものが少くない。それは、たゞ旧いから陋習と云はれるのではなく、新しいものゝなかで生彩を発揮しない涸渇した形骸となつてゐるからである。こんなことは私が指摘するまでもなく、明治以来の新興国民道徳の精神がこれを教へてゐるにも拘はらず、それだけではどうにもならなかつたといふのは、かゝる陋習さへも必要とされる生活自体の形成の欠陥を誰も補足しようとしないからである。政治の責任がこゝにないであらうか。
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2014/05/20 18:54
個別指導の注意点
個別指導のメリットは子供のペースに合わせて学習できることですが、これがデメリットになることがあります。
子供のペースに合わせたわかりやすい指導は伸ばす指導ではないということです。わからないところをそのままにしているとその先の勉強もわからなくなるので、わからないところはしっかり勉強することが大切です。でも、それだけでは難関校に合格するだけの力がつきません。
子供のペースに合わせると苦手な科目は少なくもできます。苦手なものこそ学習時間を増やして克服していかなければなりません。得意な科目を伸ばすことも大切ですが、苦手な科目の勉強時間を増やすようにして苦手を克服しましょう。
マイペースに勉強をしていると目標を低く設定しがちになります。意欲の減退にもつながります。高い目標をもって意欲的に学習をしましょう。
多くの生徒が集まる塾はライバル意識が目覚めて学習意欲が高まりますが、個別指導ではそれがありません。学習意欲を高めるためにも志望校を早めに決めて、目標設定しましょう。
hakken.(ハッケン) 岐阜・三重県下に10教室個別指導の学習塾
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2014/05/19 11:18
康子は、つりこまれて笑いながら、
「聞きたいんだけど、どこを聞いていゝかわからないわ。かいもく見当がつかないんだから……。こういうところ知つてなさる?」
そこで、ハンドバッグから手帳をとりだし、中園三郎の住所のところを読みあげた。
「知らん、わたし」
と、素ッ気なく、その娘はこたえた。
「あんた、それでも、ワッカナイは二年もいたくせに……」
「だつて、それ、ワッカナイじやないもの。そんな会社の名前、わッし聞いたことないわ」
「なんでもワッカナイからずつとはいるらしいのよ。どつちへだか……。海岸なんですつて……さびしい、さびしい……」
「海岸はどこだつてさびしいよ」
と、その娘は、また、投げだすように言い、
「いつそ、ワッカナイまでのすか?」
「いつしよに行つてちようだいよ、ほんとに……」
康子は、この道づれを失うまいと、せい/″\親しみをこめた調子で誘つてみた。
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2014/05/19 11:18
なんというおそれを知らぬ娘たちであろう。たとえそれが表面の自由さにしても、好むがまゝを振舞つて悔いないようにみえる彼女らの生活は、いつたい、どんな信念と希望とで支えられているのか? 康子は、薄暗い光のなかで、いま口をきいた相手の風ていを見直した。いくぶんはすさんだところもみえなくはない。しかし、娘らしい心づかいが田舎じみた衣しようのはし/″\にもみえてあらい手織りじまのモンペがよく似合うのも、ほゝえましかつた。
「樺太はそんなにいゝところ?」
と、康子が、こんどは口を切つた。
「ふん、ほかを知らずにそう思うのかも知れないけど、内地へ帰つてみて、あんまり居心地がよくないもんで……」
「今はことにね。北海道はよくご存じ?」
「わたしはあんまり知らないの。このひとがよく知つてるわ」
といつて、隣りをゆり起そうとするので、
「いゝわ、いゝわ、折角やすんでらつしやるんだから……。ワッカナイつていえば、今ごろは雪が積つてるでしようね」
「そりやそうよ。もうこれからは、四月まで雪の中だわ。それに、十一月のガスと来たら……うゝむ、息がつまりそうだ」
表情たつぷりに、霧につゝまれてむせかえる声をだしてみせる。
隣りがこの時、ちよつとからだを動かしたので、すかさず、
「おい、起きなよ。この奥さんが北海道の話聞きたがつてるからさ」
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2014/05/19 11:18
終つたはずの戦争が、こゝにもまだ長く尾を引いているのに彼女はりつ然とした。
「どちらへ?」
と、若い女は、しばらくして康子に声をかけた。
「あたくしたち? ワッカナイですの、北海道の果ですわ」
「わたしたち、樺太からやつと引揚げたばかりなんですけれど、また、行けるようになつたら行こうと思つて……」
「それで? 今からどこまでいらつしやるの?」
「どこでもいゝんです。すぐ渡れるようなところへ行つて、待つてますわ」
「お連れがおありになるの?」
「えゝ、わたしたち三人……」
見ると、なるほど、そのそばに背中を丸めて居眠りをしている二人の女がいた。いづれも二十そこそこの小ぎれいな娘たちである。
「感心ね。おくには?」
「みんな違うん」
と、あとはふくみ笑いでまぎらしてしまう。いずれはこびを売るたぐいの女たちであろうと、康子は察した。しかし、彼女の心はちつとも痛まなかつた。
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2014/05/19 11:18
待合室のストーブのまわりは、折り重なるように群集がひしめき合つていた。
こゝでは、船の欠航がどういう原因なのかを人々は論じ合つている。濃霧のためだと言うものもあり、暴風の警戒が出たからだと主張するものもあつた。しかし、一人の厳めしい洋服姿の男が、薄笑いの中で言葉を濁しながら、近頃、機雷がおびたゞしく流れてくるからだと、断言したので、一同は、是も非もなく口をつぐんだ。
井出康子は、待合室の一ぐうにやつと腰をおろす場所をみつけ、リュックと手提げカバンを下において、くた/\になつたからだを休めることにした。
「トムちやん、おなかすかない? すいたら、お握りあげるわ」
握り飯を竹の皮の包みから一つ、つまみあげようとすると、いきなり、にゆつと黒ずんだ大きな手が左右から出た。思わず顔をあげると、浮浪者のような男が一人と、そのそばに、中年の身なりはさほどひどくもない女とが、それ/″\片手をつき出しているのだとわかつた。二人とも口はきかない。差しだした手がすべてを語つているのである。隣りにいた若い女が、康子のひじをつゝいて、小声で教えた――
「だめですよ、こゝでそんなもの出しちや……」
彼女はしかし、知らん顔はできなかつた。残り少い握り飯を一つずつ、その差しだされた手にのせた。
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2014/05/19 11:17
それは、じつさい、ふらふらとそういう気になつたのであつて、彼女自身としては、中園という男のどこかに心ひかれてそうなつたのか、または、彼の現在の生活――話に聞いただけではあるが、いわゆる無人島に流れついたと思えば間違いないというような原始的な風物と、そのなかの荒々しい生活――が、彼女の好奇心をそゝつたのか、そのへんのところはまだはつきりしないのであるが、ともかく、小さな息子の手を引いて、着のみ着のまゝといつてもよい女一人が、いきなりぶつかつて行く場所としては、なにかそこには、さほど無謀とも考えられない条件がそなわつていたのである。息子のモトムとあんなに別れを惜しんだ少女は、中園の娘、ヒデ子ではなかつたか。
とはいうものゝ、彼女は、こゝまで来て、あらわにそれと言いたくない自分のひそかな期待、本心とみられることはまだ/\承服できないような中園に対する一種の興味を、もう否定はしなかつた。
地獄の旅のような二日二晩の汽車の中で、彼女は、うつら/\考えた――市ノ瀬牧人の前からはどうしても姿をかくさなければならない。永久に……そうだ、永久にだ。自分というものをいまだれかの手にゆだねるとしたら……。彼女の胸はあやしく波立つた。
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2014/05/19 11:17
津軽海峡の連絡船はもう三日欠航をつゞけていた。
青森駅からさん橋までの通路は人に埋まり、町の旅館はどこもむろん満員であつた。もう初雪が降つたというこの地方の、十一月とは思えぬ夜風の冷たさに、破れガラスの窓の下でいく日も船を待つ人々の皮膚は血の気を失い、毛布を頭からかぶつてうずくまる旅なれた連中のすがたのみが、世にもぜいたくなものに思われた。
ひとわたり、この人ごみの中をかきわけて、なにかを探すように歩いてみたが、井出康子はいまにも泣きだしそうな息子の顔をのぞきこみながら言つた――
「元気をだすのよ。男のくせにそんな顔してるとヒデちやんに笑われてよ」
彼女はあてもなく、こゝへ来たわけではない。しかし、そうかといつて、たしかなあてがあるわけでもなかつた。もうこれ以上じつとしていられないという、切羽つまつた気持で、どこか遠い、それこそまるでちがつた世界へ飛びこんで行こうという気になり、子供のことを考えると、自分ひとりの身の始末だけではすまず、たま/\中園三郎のことが頭に浮び、いつそのこと、彼のところへ黙つて押しかけて行つてみようと、つい思いたつてしまつたのである。