分からぬは夏の日和と人心
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2014/05/19 11:17
「そのことは、はじめに、条件をつけましたの。二十年、あるいはそれ以内に、あの人が帰つて来たら、わたしを自由にしてくれる約束なんですの」
康子は、そこで、あきれたというふうをし、やがて、北原ミユキをにらむかつこうで、
「へえ、それ、市ノ瀬さん、承知なすつたの?」
「えゝ。そんなこと平気なんでしよう。でも、こうは言いましたわ――その時になつたら、もう君にはその自由の必要はなくなるだろう、つて……。わしには自信がある、ですつて……」
康子は、こんどは、からだを折つて笑い、
「そういうお話なら、まあ、お茶でもいれましよう」
と言いすてゝ座をたつた。
つきのわるいガスの火をつけながら、彼女は、ひとり、さつきからの話の経過をもう一度繰りかえして考えてみた。
単純なようで複雑な男のこゝろ、複雑なようで単純な女のこゝろが、そこでは典型的な対立を示しているように思えた。その二つの心のまじわる線がどこにあるかは別として、危いのは、北原ミユキでなく、市ノ瀬牧人の方だと、彼女は直感した。
茶を運んで座にもどつた時、彼女は、北原ミユキをこのうえ悲しませてはならぬと心に誓つた。
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2014/05/19 11:17
北原ミユキは、思ひつめたように、くちびるをかんでいる。康子はたずねた――
「それで、もうあなたは、市ノ瀬さんのところへいらしつてるの?」
「えゝ、先月の十日から……」
「じや、そのほかのことは、うまく行つてるわけね?」
「うまくですか、どうですか……とにかく、夫婦みたいに暮してますわ」
めずらしく、北原ミユキの口元に自ちよう的な微笑がうかぶ。
「おや、みたいとは変な言いかたね。すこし立ち入つたことを聞かしてちようだい。あなたの方から、せんのいいなずけの方のこと、なんにもおつしやらないようにしてらつしやる?」
「もちろん、なんにも言やしませんわ。市ノ瀬の方から、言いだすくらいですわ」
「それでなにもかもわかるじやないの。お二人の気持を早く落ちつくところへ落ちつかせたいと思つて市ノ瀬さんは苦労してらつしやるだけよ。お二人の過去の生活が、別々の歴史になつていてはいけないと思つてらつしやるのよ。そういうところは、女よりも男の方が潔癖だと思うわ。市ノ瀬さんは、それといつしよに、二十年さきのことを、今からはつきりさせておおきになりたいんだわ」
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2014/05/19 11:16
キッと見あげる北原ミユキの視線を、康子は、まともに受けながら、やさしく、
「ミユキさん、あたしたちは女同士よ。細かい気持をお互に読みあいましようね。それであなたが、おいでになつた意味がよくわかつたわ。市ノ瀬さんの一方的のそういうお気持は、そりや、あたしにもわかつてゝよ。わからないはずないわ。わかつていればこそ、あたしには、決心がついたのよ。市ノ瀬さんがどういうおつもりで、そんなことを自分から告白しなすつたのか、そこのところは、あたしには想像がつかないけれど、考えようによつては、あなたの心の負担を軽くしようつていうおつもりかも知れないわ。そうじやない、きつと?」
北原ミユキはしばらく考えていた。やがて、前よりはいくぶん落ちついた口調で、
「それにしても、わたしすこしがつかりしましたの。もつともつと市ノ瀬が純粋な気持でわたしに手を差しだしてくれたものと思つていましたわ。どんなに、わたし、あの人のひろい心にうたれたかしれませんわ。わたしは、あのひとが、なにもかも無条件でゆるしてくれたということ、たゞそれだけの感動で、あのひとの前にひざをついてしまつたんですの。奥さまのことを、そりや、ひとこと申すには申しました。しかし、それは、わたしをなぐさめるために、半分じようだんを言つてるんだと思いましたの。ところが、それは、じようだんではなかつたんです」
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2014/05/19 11:15
Tシャツ好きには暖かい季節は大歓迎
そろそろ気温も暖かくなってきて、もう少ししたらTシャツが大活躍する時期がやってきます。
Tシャツマニアの私としては自分のコレクションを披露する場が出来るという事で、今からその時ことを考えると顔がにやけてしまいます。
私が所有しているTシャツの中には大変な価値がある物も含まれているので、それを着て行って汚してしまったりしたら大変な損害になってしまいますが、私はTシャツとはただ観賞する為だけの物では無く、人が着てこそ真価を発揮する物だと思っているので、見せびらかすという側面があるにせよそういった価値のあるTシャツもドンドン着て出かけようと思っています。
ただ、Tシャツは価値が高いからといってデザインが優れている訳では無いので、その辺りは全体のコーディネートを考えてちゃんとマッチした物を選んでいきたいところです。
Tシャツはデザインの他にも作り手の色んなメッセージが込められている物も多く、それを着る人も自己表現の一つにすることが出来ますが、私はどちらかというとデザインの方を重視する方です。
Tシャツ オリジナル
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2014/05/10 22:47
霧の時は、早く窓をしめないと、病人が息苦しいというのである。その窓が、また、女の力でどうにもならぬほど、締めにくいと来ている。彼は、飛んで帰つた。
小萩は、まだ、ヴェランダの寝椅子の上にからだを横たえていた。
「ちよつと、ちよつと……早く……さつきから蜂がさわいでると思つたら、なんだか熊ん蜂がいくつも襲つて来てるらしいわ」
「え?」
と、彼は、それこそ、顔色を変えて、蜂箱の方へ去つて行つた。かねて、そういう場合に使う大きな蠅たゝきが樹の枝にかけてあるのをはずし、それを右手で振りあげながら、空中をにらみつけた。
なるほど、蜜蜂の数倍もあろうという獰猛なすがたをした熊ん蜂が、箱の入口を目がけて急降下すると、入口を守備している蜜蜂が、たちまち、その一撃で斃される。続いて、また一つ、その熊ん蜂目がけて飛びかゝつて行く。それがまた、あえなく、地上に墜落して来る。が、更に、ほかの一つが、横あいから敵に喰いさがる。それも無駄である。一対一の戦闘が、こうして、きりなく続く。そして、勇敢な蜜蜂は、力敵せず、一つ一つ、その犠牲となつて屍を地上にさらすのである。その間に、手さえ届けば、人間が蜜蜂の助太刀をするのであるが、今という瞬間を見定めて、蠅たゝきの一撃をねらい誤またずこの悪鬼のような侵入者の上に加えることができれば、それでいゝのである。
京野等志は、まだその戦法に熟達はしていないが、闘志満々、義憤に燃えて、蠅たゝきを持つ手が、ぶるぶる、ふるえているのである。しかし、熊ん蜂は、なかなか、近くへ寄つて来ない。
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2014/05/10 22:47
「あら、いやだ。そんなことこゝじや言わない筈だつたわ。兄さん、このひとつたら、いきなりあたしに結婚してくれつていうんだけど、そんなこと、変ねえ。お友達として、お互にまず及第かどうか試してみるのが肝腎だわ。それなら、おつき合いしましようつて約束なのよ。それでいゝわねえ」
真喜は、それを、はにかみひとつみせず、男二人の前で、ずけずけと言うのである。京野等志は、もうそんなことには驚かなくなつている。
「僕はそういうことには、いつさい干渉しないよ。第一、そんな問題は、第三者に、なにひとつ、わかる筋合のもんじやないさ。南条君、蜜蜂が見たければ、あすの朝、箱をあける時間に来ないか。六時キッカリにあける。じや、失敬だけど、僕は病人のそばへ帰る。ゆつくりやすみたまえ」
二人をホテルの玄関口まで送つて、彼は、大股にもと来た道を引つ返した。
もう日がかげつて、あたりの空気が、肌にひえびえとするくらいであつた。
と、やがて、この土地特有の霧が、山裾からもくもくと這上つて来る。
「いけねえ」
と、彼は口の中で呟いた。
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2014/05/10 22:46
京野等志は、この真喜という妹のどこかに、なるほど一家の誰よりも強く明るい性格がのぞいているのを感じ、これはこれでいゝのだと思つた。南条己未男との間柄も、別に詳しく詮議だてをしようとは思わなかつた。たゞ、戯談めかして言つた南条のいつかの述懐が、戯談どころか、それが真意であつたことを、やはり、南条らしいと思つた。後は、実際に、真喜の居所をどうしてつきとめたか? そして、どういう出方で、いわゆる友達づきあいをしはじめたか? それもこれも、彼にとつては、どうでもいゝことである。
ホテルの門前に辿りついた時、真喜は、大声で、「南条さん……早くいらつしやあい」と叫んだ。南条己未男は、二、三十歩後から、ちやんとついて来ていた。
「もう話はすんだの?」
と、彼は真喜の方に問いかけた。
「えゝ、すんだわ。こんどは、あなたの番、あたし、あつちへ行つてましようか?」
「僕は、君に、なんにも秘密はないんだ。そこにいたまえ。ねえ、京野君、どう思う、君は? 真喜ちやんは、僕のお神さんになれば幸福だろう?」
と、南条己未男は、ずばりと言つた。
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2014/05/10 22:46
「お母さんは、そんなにこぼしてるかい?」
「うゝん、それがそうでもないから、あたしなお情けなくなるの。なんとかしてあげられないか知ら?」
真喜の調子は意外なほど真剣であつた。
「まあ、待てよ。お前がそういつたつて、お母さんがそれを承知しなけれや、どうにもなるまい。お前はそれより、自分の将来のことを……」
と、言いかけるのを、真喜はみなまで聞かず、
「えゝ、それやわかつてるわ。あたしは、多津姉さんとも、美佐姉さんともちがつてよ。大事な青春を特定の男性に捧げるなんて、バカなことはしないわ」
昂然と言いはなちはしたが、その言葉には自分でも多少の誇張があることを認めるらしく、あとは、舌を出してごまかしてしまつた。
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2014/05/10 22:45
「うゝん、時々、アパートへ会いに来てくれるの。お店の前をのぞき込むようにして通りすぎることもあるのよ。あたし、見つけたら追つかけてつて、お茶おごつてあげるの」
「そいつはいゝな。多津はどうしてる、その後……?」
「ああ、多津姉さんね、やつぱり雲井さんと別れるんですつて……。それから、ほら、仲よしだつた鷲尾妙子つていう女流作家がいるでしよう。あのひととも喧嘩しちやつたんですつて……。今、なんだか知らないけれど、行商つていうのか、外交員つていうのか、そんなことしてるわ」
「なんだい、お前の相談つていうのは?」
「うゝん、なんでもないこと……母さんはお父さんと別れちまつたらどうかと思うのよ。だつて、くだらないでしよう、あんな生活は生活つて言えないわ」
京野等志は、この少女の意見が、いつたいどこから出て来たものかを疑わないわけにいかなかつた。
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2014/05/10 22:45
「あたしは、たいがい見当がついてたわ。南条さんには黙つてたけど、兄さんの近頃の様子で、結局こうなるんだろうつて、多津姉さんとも話してたのよ」
と、真喜が、得意らしく、告白した。
「それで、たゞそいつをたしかめるために、来てみたのか?」
「あら、そんなつもりじやないわ。あたしは、ちよつと相談があつて来たの。南条さん、こつちの話からかたづけていゝ?」
真喜は、なかなか事務的だつた。
「さあ、さあ、どうぞ……。僕は、しばらくどつかへ行つてようか?」
「その方がいゝわ。呼んだら聞えるところにいらつしやい」
南条己未男は、声をたてゝ笑つた。京野等志もにやりとした。
兄と二人きりになると、真喜は、歩をゆるめながら、話しだした。
「あたし、とても今、生き甲斐を感じてるの。お店の仕事はまあ、なんていうことはないけど、自分で働いて、自分で勝手なことができるの、とてもうれしいわ。でも、そうなつてみると、こんどは、やつぱり家のことを考えちやうの。第一に母さんが気の毒でしようがないの。あんなかわいそうなひとつてないわ」
「たずねてみたかい?」